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カテゴリー «史観雑感»

カメラとGPS

使い続けていたカメラがいよいよ10年落ちとなったこともあって、買い増した。 これまで使っていたのがカシオの初代Exilim、EX-S1。光学ズームはないしパンフォーカスだしマクロもダメだし画素数1.2メガだし、と殆ど玩具 …

ドラマ『清盛』を観て

NHKの大河ドラマ『清盛』が始まったので観てみた。大体この手の主人公は栄達するかその寸前で悲劇的な死を迎えるかのどちらかなので、平清盛という半端な死に様をどう描くのか興味があったので。 結果、初回冒頭で全体の方向性と結末 …

大虚院殿の事

『戦国北条氏五代』第一章伊勢宗瑞を読了。宗瑞の実年齢や火牛の計の虚構性など、新説がコンパクトにまとめられているのはよい。扇谷上杉氏との関係性もとても判りやすい。 氏時(大虚院殿)が享禄4年8月18日に死去。翌年の享禄5/ …

黄梅迷想

氏政室を追って、気付けば年を跨いで思わぬ所まで来てしまった。推論の上に幾重にも想像を重ねている。もうこの辺で閣筆しよう。その前に、私が自身の説明で矛盾を感じていた点を幾つか列挙しておく。 ・葬儀が小田原で行なわれたとする …

携暦くん

出先で歴史系の調べ物をしていると、時系列の確認が面倒になる。Windowsだと『スーパー暦』というフリーウェアがあるのだが、これまでのケータイでは年号暦日をWikipediaで一々アクセスするのが億劫だった。 ということ …

氏政室自害の理由

氏政室が小田原で自害したのだという仮説を考えているが、何故彼女はその行為に出たのだろうか。実子は恐らく4人。当時7歳の国王丸(氏直)、6歳(?)の次子国増丸(源五郎)、4歳の氏房、1歳の直重がいた。幼い息子達を遺して命を …

大徳寺の黄梅院

永禄5年に大徳寺98世の春林宗俶が黄梅庵を営む。この庵が後に「黄梅院」となる。この住持の法名「春林宗俶」と、氏政室の戒名「春林宗芳」が似過ぎている気がしてならない。「宗俶」も「宗芳」も同じ臨済宗大徳寺派なので似るのも当然 …