大虚院殿の事

『戦国北条氏五代』第一章伊勢宗瑞を読了。宗瑞の実年齢や火牛の計の虚構性など、新説がコンパクトにまとめられているのはよい。扇谷上杉氏との関係性もとても判りやすい。

氏時(大虚院殿)が享禄4年8月18日に死去。翌年の享禄5/天文元年に為昌が登場していたのを再確認して、色々考え込んだ。永禄9年辺りに、為昌の位牌が綱成から氏規に継承されている。玉縄北条氏の始祖は為昌で確定されているのだが、本来は氏時の死去を受けて為昌が襲位したと考えた方が自然。氏時の死には何か事情がありそうだ。

Posted from WordPress for Android

Trackback

no comment untill now

Sorry, comments closed.