ここ暫く、天文12(1543)年に生まれたある女性の事を記してきた。彼女は源氏の名門武田氏の嫡流である武田晴信の長女であり、母はその正室円光院殿。京の公家でも名門の転法輪三条家出身である。

天文23(1554)年の12月、1万名の煌びやかな兵に護られて同盟相手の北条氏政に嫁した。彼女は12歳、夫の氏政は16歳だった。その翌年の3月2日、父晴信は誇らしげに「小田原城の南殿」と記した。その足跡を簡単にまとめてみた。

〇天文24年
11月8日長男生(早世)
〇弘治3年
11月 晴信が安産を祈願
〇永禄5年
氏直生
〇永禄8年
5月 晴信が病気平癒を祈願
氏房生
〇永禄9年
5月 安産祈願
〇永禄10年
10月19日 武田義信が自刃
〇永禄11年
12月13日 駿府が落居
直重生
〇永禄12年
5月15日 掛川が開城
6月17日 氏政室死去
6月23日 大宮城攻め》7月3日富士氏降伏
8月24日 晴信が小田原攻めに出馬
10月1日 小田原攻め》10月8日三増合戦
12月6日 蒲原が落城
〇元亀1年
12月1日 甲斐国内の所領『南湖』を寄進して大泉寺に『龍地郷』で黄梅院を建立させる。
〇元亀2年
12月 後北条と武田が再同盟。

ロ後北条側戒名
  黄梅院殿春林宗芳大禅定尼
ロ武田側戒名
  (延命山)黄梅院殿智栄鳳瑞尼

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