黄梅迷想

氏政室を追って、気付けば年を跨いで思わぬ所まで来てしまった。推論の上に幾重にも想像を重ねている。もうこの辺で閣筆しよう。その前に、私が自身の説明で矛盾を感じていた点を幾つか列挙しておく。

・葬儀が小田原で行なわれたとすると、そのまま早雲寺に墓を作るのではないか。

・氏政室が自害によって、国王丸と国増丸の人質行きがなくなるという確証がない。

・彼女の死の直前に晴信は小田原攻めを言及している。娘の自害が小田原攻めを生んだ訳ではなさそうだ。

※ちなみに、三船台敗戦で大幅に発言力が落ちたとはいえ、氏政は当主として強い決裁権を持っていた筈。実子2名を外交の手駒にしたのは氏政自身ではないか。

何れ機があれば更に考えをまとめてみたい。

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