遠山丹波守と加藤丹波守
『敗者の日本史10 小田原合戦と北条氏』(黒田基樹著・吉川弘文館2013)について、もう1点指摘する。 景勝は武田氏旧臣の遠山丹波守(もと右馬助、元来は北条氏家臣の小幡勘解由左衛門尉)に対して沼田在城を承認し、信濃八幡( …
『敗者の日本史10 小田原合戦と北条氏』(黒田基樹著・吉川弘文館2013)について、もう1点指摘する。 景勝は武田氏旧臣の遠山丹波守(もと右馬助、元来は北条氏家臣の小幡勘解由左衛門尉)に対して沼田在城を承認し、信濃八幡( …
『敗者の日本史10 小田原合戦と北条氏』(黒田基樹著・吉川弘文館2013)に、興味深い記述があった。 さらに名胡桃の地については、先の割譲の際に、百姓屋敷のみとなっていたはずであり、城郭は存在しなくなっていたこと【同書1 …
武田信虎追放の原因について、約束手形不履行を家臣たちが糾弾したからではないかと検討してみた。これは今川義元にも当てはまるかも知れない。 義元は、自身の家督継承時から後北条氏に奪われたままだった河東郡の奪還を企図していた。 …
武田信虎の国外追放の要因を考えてみたが、拡張が止まった途端に不満が噴出するという事情の裏側には、知行の分配を巡る矛盾がひそんでいたと結論付けることが可能だと思う。同時代史料の『塩山向岳禅庵小年代記』にある「信虎平生悪逆無 …
武田氏に関しては知識がないため、同時代史料ではなく、予めまとめられた書籍を用いた(『武田穴山氏』・『戦国のコミュニケーション』・『戦国大名の日常生活』・『武田信玄と勝頼』・『武田信玄(ミネルヴァ)』)。推測の部分が溶け込 …
今川義元が珍しく感情を顕わにした書状を踏み込んで解釈したが、武田信虎の追放というのは個人的にずっと疑問だった。 よく目にした通説が「信虎の好戦的で酷薄な性格を嫌った国衆たちが、晴信を擁立した。度重なる戦争で疲弊した国衆と …
今川義元という人物は、感情を殆ど表わさない。これは、彼の文書を網羅して読んできて判ったことだ。他の大名だと文面にもう少し癖が出てくる。誠実さお人好しぶりが如実に出ている今川氏真や、かっとなって威圧的な文面を頻発させる北条 …
2013年2月4日、世界中を驚かす速報が流れた。前年9月に英国レスターのとある駐車場から発掘された人骨が、1485年8月22日に32歳で戦死したイングランド王リチャード三世だと確定されたというのだ。この年ボズワース・フィ …
1561~3(永禄4~6)年の今川氏関連文書を細かく見ると、通説にあるような、父の弔い合戦もせず遊興に明け暮れていたという氏真の姿はどこにもない。むしろ、松平元康(徳川家康)の反乱で電撃的に奇襲された牛久保を確保しつつ、 …
前回の問題提起で、以下の謎を出してみた。 1)文中で氏政から偏諱を受けようとしているのは誰か? 2)氏政に書付を送った斎藤とは誰か? 3)この文書はどこで書かれたのか? 4)この文書はいつ書かれたのか? ここで『後北条 …