今川義元、朝比奈筑前守に大高城番を命ずる
今度召出大高在城之儀申付之条、下長尾一所之事、一円永所宛行之也、於遂在城者、連々可加扶助、彼郷之内、前々之被官等、無相違所還付也、守此旨、用心已下無油断可勤之者也、仍如件、 永禄弐 未己 年 八月廿一日 治部大輔(花押) … 今川義元、朝比奈筑前守に大高城番を命ずる
今度召出大高在城之儀申付之条、下長尾一所之事、一円永所宛行之也、於遂在城者、連々可加扶助、彼郷之内、前々之被官等、無相違所還付也、守此旨、用心已下無油断可勤之者也、仍如件、 永禄弐 未己 年 八月廿一日 治部大輔(花押) … 今川義元、朝比奈筑前守に大高城番を命ずる
織田家家臣、
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就太神宮造替御状殊御祓太麻并二種珎重候、随太刀一腰進之候、将又参州萱米之事、委曲関口刑部少輔可申候、 恐々謹言 八月十五日 義元御判 →静岡県史 太神宮建替えについての書状、特に御祓い大麻と2種は珍重しています。このこ … 今川義元、伊勢外宮に本殿建替費用を三河から徴収する旨了解する
今川氏真文書によると、松井部隊は今川軍で撤退戦のプロのようなポジションだったことが判る。 駿東郡を舞台とした『河東一乱』が出だしに入っているが、これは宗信の父親の話かも知れない。この文書のあて先は宗信の後継者『八郎』 … 検証a04:撤退戦の名手、松井宗信の戦死
御祝儀万々珍重之至候、弥国家繁営之基候、向尾州御進発、是又目出候、仍金襴一端・大方紙十帖進覧候、猶重而可申述候、穴賢々々、 南無阿弥陀仏、 九月五日 他阿弥陀仏 今河治部大輔殿 人々御中 →静岡県史 資料編7 (清浄光寺 … 体光上人、義元の尾張出発の話を聞き礼物を届ける
「実報院 氏真」 於尾州不慮之儀出来、因茲遠路来書祝着候、爰元無異儀候、委細高井連惇可申候、 恐惶謹言 六月廿七日 氏真(花押) 実報院 →愛知県史 資料編11 「今川氏真書状」(熊野那智大社文書) 尾張国で不慮の事態 … 今川氏真、熊野大社に不慮の出来事があったと伝える
豊受太神宮神主 早任先例、太神宮御葺萱料作所申分子細之事 右御萱料者、太神宮於天下異于他之条、自往古以勅命、正遷宮萱之国被定置者也、因茲去年夏自作所令注進之処、三州之儀雖為御合点、遠州之儀者、就浅間御造営無同心之由、神鑑 … 伊勢外宮、今川氏に建築予算を催促
尚以御祓并山桃・尉(熨)斗五把送給之候、目出度令拝領、態斗御初尾三十疋令進覧候、尚■ニも可申入候、 今度就合戦之儀、早々御尋本望存候、義元御討死之上候間、諸勢討捕候事、際限無之候、可有御推量候、就其立願之儀、委細御使与三 … 佐久間信盛、伊勢神宮御師に今川義元討ち死にを報告する
今川氏真による文書に、珍しい種類のものがある。 ■田嶋氏への再安堵 ■大村氏への再安堵 どちらも以下の要素を持つ。 天沢寺殿(今川義元)が土地領有の保証を行なっていること。 しかしその保証書が、5月19日の合戦時に沓 … 検証a03:沓掛城での文書紛失