史材

今川義元、井出甚右衛門尉が病死したことを認定する

去々年信州江富士下方之人数為甲州之合力差遣之処、就井出甚右衛門尉煩、一宮出羽守仁相断令帰陣、彼煩終不平癒令死去之上、廣瀬三右衛門尉并土橋彦三郎為訴人構虚病致帰陣之旨訴出之条、双方遂裁断之処、一宮出羽守為証文之間尋之令糾明 今川義元、井出甚右衛門尉が病死したことを認定する

北条氏康、酒井左衛門尉に、松平氏と今川氏との和睦成就のため協力を求める

態令啓候、蔵人佐殿駿州一和之儀、以玉瀧坊申届候、成就於氏康令念願計候、併可在其方馳走候、恐々謹言、 五月朔日 氏康(花押) 酒井左衛門尉殿 →『小田原市史 史料編 中世2 小田原北条1』四八七号 「北条氏康書状」(里見忠 北条氏康、酒井左衛門尉に、松平氏と今川氏との和睦成就のため協力を求める

北条氏康、水野下野守に松平氏と今川氏の和平斡旋を依頼する

久不能音問候、抑近年對駿州被企逆意ノ由、誠以歎敷次第候、就之自駿府當方へ出陣ノ儀承候間、氏康自身出馬據歟、■州閣■敵、於三州弓矢無所詮候、去年來候筋日(目)駿三和談念願、就中三悪(亜)相如(御)筋(物)語ハ、就彼調被成下 北条氏康、水野下野守に松平氏と今川氏の和平斡旋を依頼する

織田信秀、水野十郎左衛門尉に戦線が平穏であると報告する

此方就在陣之儀、早々預御折帋、畏存候、爰許之儀差儀無之候、可被御安心候、先以其表無異儀候由、尤存候、弥無御油断、可被仰付儀肝要候、尚林新五郎可申候、恐々謹言、 閏十一月十一日 信秀 水野十郎左衛門尉殿      御返報 織田信秀、水野十郎左衛門尉に戦線が平穏であると報告する

今川義元、奥平監物が大高城補給に成功したことを賞す

去十九日、尾州大高城江人数・兵粮相籠之刻、為先勢遣之処、自身相返敵追籠、無比類動、殊同心・被官被疵、神妙之至甚以感悦也、弥可抽忠切之様、仍如件、 十月廿三日 義元 判 奥平監物殿 →豊明市史 「今川義元感状写」(松平奥平 今川義元、奥平監物が大高城補給に成功したことを賞す