史材

今川氏真、刈谷出陣時の負担により陣夫の義務を免除する

当郷年来陳夫之を相勤むと雖も、刈屋陳の刻、百性等困窮に就いて逐電に及ぶの上、陳夫一円免許たるの旨申すの間、今度奉行人仁相尋ぬるの処、歴然たる由申すの条、儀に任せ、向後一切免許し畢。殊に材木以下別して奉公せしむるにより、自 今川氏真、刈谷出陣時の負担により陣夫の義務を免除する

今川氏真、岡部元信の鳴海城守備を讃え父の遺産相続を認める

当知行之内、北矢部并三吉名之事 右父玄忠隠居分、先年分渡云々、然者玄忠一世之後者、元信可為計、若弟共彼隠居分付嘱之由、雖企訴訟、既為還付之地之条、競望一切不可許容、并弟両人割分事、元信有子細、近年中絶之刻、雖出判形、年来 今川氏真、岡部元信の鳴海城守備を讃え父の遺産相続を認める

検証a07:大高城への補給

 大高城が5月19日の合戦の焦点になるかもしれない。というのも、尾張国内に侵攻してからずっと、今川軍の大きな作戦目標に「大高への補給」という焦点があったからだ。具体的に検証すると以下のようになる。 鵜殿氏→1560(永禄 検証a07:大高城への補給

今川義元・氏真が任官

永禄三年五月八日  宣旨  治部大輔源義元   宜任参河守    蔵人頭 永禄三年五月八日 宣旨  従五位下源氏実  宜任治部大輔    蔵人頭   口宣二枚  五月八日 右大弁 進上広橋大納言殿