丸子宿伝馬の事
右、公方荷物の事は、壱里拾銭を除き、その外の伝馬壱里拾銭取るべき旨、先年相定むる処、事を左右に寄せて相紛ると云々。然る間、自余に相替はり、余慶の地無き為により、当宿怠退に及ぶの旨、只今訴訟を企つ条、向後に於いて、公方荷物の事は、壱里拾銭を除き、彼の印判に三浦内匠助、判形を加ふべし。若し判形無きに於いては、縦ひ公方荷物たりと雖も、壱里拾銭之を取るべし。その外上下伝馬の事は、壱里拾銭出さざるに於いては、伝馬之を立つべからず。但し、地下宥免の上、公方儀無沙汰せしめ、その上在所衰微せしむに於いては、此の定め相違有るべきの旨、先の印判に任す所、仍って件の如し
永禄三 庚申 年
四月廿四日
丸子宿中
→『今川義元(ミネルヴァ書房)』(東京逓信博物館所蔵文書)
今川家公用の荷物は1里10銭をかけず、そのほかの伝馬(運送)は1里10銭を徴収することは、先年すでに決めていたことだ。それに難癖をつけ事態を曖昧にしていると聞いた。このようなことで負担が重くなりこの宿場が立ち行かなくなったので訴訟となった。今後は、公用の荷物として1里10銭をかけず利用する場合は、書類に三浦内匠助が捺印することとする。印がないものは、公用だったとしても1里10銭を徴収すること。
その他伝馬でも1里10銭出さない者は馬を仕立てないように。ただし、民衆の負担を軽くするためという条件で、公用荷物もなく、頼んだ相手が困窮しているようであれば、この条文は適用されず、先に出した通達に従うように。