史材

検証a11:各人物の所在

1560(永禄3)年5月19日に確認できる関係者所在を挙げてみた。 位置が完全に確認できる関係者 岡部五郎兵衛尉  鳴海城 鵜殿十郎三郎   大高口 水野藤九郎    刈谷城 位置詳細不明だが合戦への関与が確実な関係者 検証a11:各人物の所在

今川義元、匂坂長能に寺部領半分を与える約束をし岡崎城番を免除する

一向寺部可取出之旨領掌訖、然者寺部城領半分令扶助間、山林野河共半分内者可令支配之、縦敵味方内雖有買得之地、不可及其沙汰事 一来年末三月中迄彼城無落居相支、其上以惣人数雖攻落之、既以自面兵粮其外過分失墜成取出之条、寺部分限 今川義元、匂坂長能に寺部領半分を与える約束をし岡崎城番を免除する

今川義元、匂坂六右衛門尉に岡崎城番勤務について指示

就今度岡崎在城、長能・宗光両人江弐百五十貫文■令扶助之也、然者糟屋備前守同前諸事可走廻、同心参人之切符扶持、如相定毎年可請取之、其外当年令高名同心四人切符弐十五貫文、為新給領掌訖、年来無足奉公之由申之条所宛行之也、若於彼 今川義元、匂坂六右衛門尉に岡崎城番勤務について指示