高村

羽柴秀吉、真田真幸に、後北条氏討伐の準備を伝える

其方相抱なくるミの城へ、今度北条境目者共令手遣、物主討果、彼用害北条方江法之之旨候、此比氏政可致出仕由、最前依御請申、縦雖有表裏、其段不被相搆、先被差越御上使、沼田城被渡遣、其外知行以下被相究之処、右動無是非次第候、此上 羽柴秀吉、真田真幸に、後北条氏討伐の準備を伝える

羽柴秀吉、後北条氏討伐のための軍役と兵站を策定する

条々 一、来春関東陣軍役之事、 一、五畿内半役、中国四人役之事、 一、北国六人半役之事、 三河・遠江・駿河・甲斐・信濃七人役之事、 右、任軍役書付之者、来三月令出陣、小田原北条滅亡、可有忠勤者也、仍如件、 天正十七年丑十 羽柴秀吉、後北条氏討伐のための軍役と兵站を策定する

松田憲秀・直秀、万木原氏に、北条氏政の上洛予定を告げる

 覚 一、従京都御当方年内可為御上洛旨、御使始終之様子、雖無御得心候、此度条ゝ御使者江御返答之間、依彼御挨拶、御隠居来冬中必可為御発足事、 一、自諸手御上洛之出勢并出銭、又御国之御仕置、諸色兼日可被成置意趣条ゝ之事、   松田憲秀・直秀、万木原氏に、北条氏政の上洛予定を告げる

施薬院全宗、伊達政宗に九州・関東の情勢を伝え上洛を促す

[懸紙ウワ書]「伊達左京大夫殿 人々御中   施薬院 全宗」 其以後者無差儀候之条、致無音候処、道有罷下間令啓上候、京都弥属静謐、九州諸大名在洛候、東国之儀も無事罷成、北条美濃守今度被上洛、御礼被申上候、然者貴殿之儀、其 施薬院全宗、伊達政宗に九州・関東の情勢を伝え上洛を促す

北条氏邦、秩父孫二郎に、北条氏規上洛にかかる費用調達を命ず

一、先年織田信長へ御使可遣候時分、惣国へ分銭懸り候、我ゝ手前へも黄金三枚あたり候、則家中ヘ可申付候へ共、手まへの以失墜大途へ納候、諸人之手前勿論知行役ニかけ候事、 一、先年土肥之御普請かゝり候、我ゝ手前を以可致ほとを被申 北条氏邦、秩父孫二郎に、北条氏規上洛にかかる費用調達を命ず

徳川家康、北条氏政・氏直に上洛を要請し、従わなければ娘を返すよう起請文を出す

敬白 起請文 一、其方御父子之儀、於 殿下御前悪様申なし、佞人之覚悟を構へ、御分国中毛頭不相望事、 一、今月中、以兄弟衆京都へ御礼可被申上事、 一、出仕之儀、於無納得者、家康娘返給事、  右条ゝ、存曲折、令違犯者、  梵 徳川家康、北条氏政・氏直に上洛を要請し、従わなければ娘を返すよう起請文を出す