[懸紙ウワ書]「真田伊豆守殿」
今度関東八州出羽陸奥面ゝ分領、為可被立堺目等、津田隼人正・冨田左近将監、為御上使被差下候、為案内者可同道、然者従其地沼田迄、伝馬六十疋・人足弐百人申付、上下共可送付、路次宿以下馳走肝要候也、
七月十日[秀吉朱印]
真田源三郎とのへ
→小田原市史 中世I 725「豊臣秀吉朱印状」(長野市真田宝物館所蔵・真田文書)
天正17年に比定。
この度関東八州・出羽・陸奥の面々の分国に境界などを立てられるべく、津田隼人正・冨田左近将監がご上使として派遣されました。案内者として同道して下さい。ということでその地より沼田まで、伝馬60疋・人足200人を申し付けます。上下ともに送りつけるよう、道中・宿泊以下で奔走することが大切です。