伊勢宗瑞、小笠原定基に情報を報告する
昨日十八申刻、就其方時宜、自関右馬允所注進到来候、横井へ御手遣、千秋万歳目出度存候、何事候共、相当御用、走廻度心底計候、当地事、今明日間可落居候間、自是必令啓候、猶無御心元候間、先以飛脚申候、猶関右馬允方へ申候間、定可被 …
昨日十八申刻、就其方時宜、自関右馬允所注進到来候、横井へ御手遣、千秋万歳目出度存候、何事候共、相当御用、走廻度心底計候、当地事、今明日間可落居候間、自是必令啓候、猶無御心元候間、先以飛脚申候、猶関右馬允方へ申候間、定可被 …
依無差題目、遥久不能音問候、素意外候、其国如御本意之由候、目出於此方令歓喜候、就中参州儀、田原弾正兄弟数年憑此方候之間、度々成合力来候処、近日敵令同辺候、前代未聞候哉、就其可成一行所存候、毎事無御等閑候者、可為本懐候、何 …
於今度三川陣、抽而令粉骨由候、神妙尤感悦候、於向後弥可走廻候段喜悦候、猶朝比奈弥三郎可申聞候、恐々謹言、 十一月十六日 氏親(花押) 伊達蔵人丞殿 →愛知県史 資料編10「今川氏親感状」(駿河伊達家文書) 1508(永正 …
今度於参州十月十九日合戦、当手小勢ニ候処、預御合力候、祝着ニ候、御粉骨無比類之段、屋形様江申入候、猶自朝比奈弥三郎方可有伝聞候、恐々謹言、 十一月十一日 宗瑞(花押) 謹上 伊達蔵人佑殿 →愛知県史 資料編10「伊勢宗瑞 …
今度於参州十月十九日合戦、当手小勢ニ候之処、預御合力候、令祝着候、御粉骨無比類之段、屋形様江申入候、猶自朝比奈弥三郎方可在伝聞候、恐々謹言、 十一月十一日 宗瑞(花押) 巨海越中守殿 →愛知県史 資料編10「伊勢宗瑞書状 …
七日、陰、晩小雨、道賢以使云、遠江合戦落居、大河内父子切腹、今河帰国之由聞及云々、 →静岡県史 資料編7「1517(永正14)年9月7日の項目」(宣胤卿記) 7日、陰、晩に小雨、堀川道賢が使いを出して「遠江国合戦で決着 …
此時駿州人数スキタリト聞ヘケルニヤ、先年大河内一味ノ浪人等又武衛ヲ大将ニ招キ楯籠リ天竜川前後ヲ押領ス、氏親出張シテ掛川ノ城ニ旗ヲ建ラレ、翌年五月ニ彼敵ヲ攻ラル、折節洪水シテ天竜川海ノ如シ、船橋ヲ懸ラレ竹大綱百渡シ、軍勢ヲ …
今度牢人仕候て其方へ憑入参候処、種々御懇候得共、殊過分之御取かへなされ、進退をつゝけ本意仕候、色々御忠節共、あまりニ祝着千万候まゝ、於平地領中五拾貫之分末代遣置候、彼於知行子々孫々申事有間敷候、亦何やうニ成行候て、今度牢 …
幡竜斎遠行、於氏真力落無是非候、仍為御吊定恵院越申候、随而香奠五千疋進之候、委細高井兵庫入道可申候、恐々謹言、 十二月廿三日 氏真(花押) 武田彦六郎殿 →静岡県史 資料編7「今川氏真書状写」(楓軒文書簒巻四十) 幡竜 …
永代売渡申御道者事 合壱所、在所尾張国鳴海・丹下・同両家方・寺島方一円大高花井名字中一円 右之道者者、親ニて候者代々従山崎殿買徳仕候て、我等迄知行無相違者也、雖然依有急用直銭限参拾五貫文ニ、小田屋宗兵衛殿方へ永代売渡申 …