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松平家広、牢人中の懇意を感謝して、松平清善に知行を与える

今度牢人仕候て其方へ憑入参候処、種々御懇候得共、殊過分之御取かへなされ、進退をつゝけ本意仕候、色々御忠節共、あまりニ祝着千万候まゝ、於平地領中五拾貫之分末代遣置候、彼於知行子々孫々申事有間敷候、亦何やうニ成行候て、今度牢人いたし候時、方々へ出し置候知行、手ニ入候事候共、其方へ遣候知行ハ申事有間敷候、扨天文拾六年よりまへの借物過分ニ成行候処、彼知行遣し候付て御さしをき、是又畏入候、か様ニ色々御ちうせつ祝着候まゝ知行遣し候、於向後何事も如在申間敷候、仍為後日如件、

天文拾六年 丁未 潤月七月廿三日

形原又七 家広 判有

竹谷与次郎殿 まいる

→愛知県史 資料編10「松平家広証状写」(竹谷松平家文書)

 この度牢人いたしましてあなたに頼み込みましたところ、様々な親切をしていただきました。特に過分の交換をされて、家名存続の念願を果たせました。色々とご忠節いただき余りにも祝着ですから、平地領から50貫文を末代まで進呈します。あの知行について子々孫々まで申し立てることはありません。また、どのような成り行きであっても、この度牢人した際に方々へ散逸した知行が手に入ることがあったとしても、あなたへ進呈した知行について申すことはありません。さて、1547(天文16)年より前の債務が過分になったところ、あの知行を進呈して控除させ、これもまた畏れ入ります。このように色々とご忠節され、祝着であるままに知行を進呈します。今後は何事も申しません。後日のためこのように書き出します。

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