今川義元、奥平定勝らの所領を安堵する
一今度九八郎就構逆心、可加成敗之処、各親類九八郎於永高野江追上、監物儀谷可引入之由、達而之懇望之条、赦免之上、本地并諸親類本知不可有相違、若給方へ雖出置、無異儀可還附事、 一被官百姓、忩劇以来、雖出他之被官、可返付、自然 …
一今度九八郎就構逆心、可加成敗之処、各親類九八郎於永高野江追上、監物儀谷可引入之由、達而之懇望之条、赦免之上、本地并諸親類本知不可有相違、若給方へ雖出置、無異儀可還附事、 一被官百姓、忩劇以来、雖出他之被官、可返付、自然 …
今度一乱、於当構并方上城・葉梨城、別而抽粉骨畢、甚神妙至感悦也、然間、一所有東(有度郡)福島彦太郎分、一所小柳津真金名斉藤四郎衛門分、一所勝田内柿谷篠原形部少輔分等之事、一円於子孫充行畢者、弥可抽忠功之状如件、 天文五丙 …
駿河国入江庄之内和矢部朝比奈弥次郎方之事 右、依致朝夕奉公、為本領宛行所也者、守先例可成敗状、仍而如件、 明応五年六月八日 五郎(花押) 岡部左京進殿 →静岡県史 資料編7「今川氏親判物写」(能勢文書) 駿河国入江荘内 …
感状之知行書立之事、 千八百七拾四貫文 葛山領佐野郷 貮百貫文 ゝ 葛山堀内分 百貫文 ゝ 清五郷 以上貮千百七拾四貫文 此内、 千貫文 先日感状之地、 千七拾四貫文 一騎合百六騎 但、壱人拾貫文積 …
遠江国西手中尾生城、二俣近江就上表中、斎藤四郎衛門依申、長能ニ申付就、然者西手知行分、如二俣時為不入可所務、并奥山之儀領掌訖、彼地之下人等引付致所務、有在城可励忠節者也、仍如件、 天文四年乙未年十月十八日 氏輝 判 匂坂 …
駿河国下方内大塚郷雅村太郎左衛門尉為久名主職此内神尾右京亮譲分共、并新屋名等之事 右、代々証文近日逢盗賊失却云々、縦従他之手雖出之、不可有許容、兼又親類割分事、於令同心者可為如前々、至于有異儀者、為久宜様可相計、定納年貢 …
「権現様御判物写」 大浜郷惣寺領、元康代仁雖落置之、只今為新寄進返付畢、於末代不可有相違、勤行無懈怠可被相勤者也、仍如件、 蔵人佐 元康(花押) 永禄弐年己未 十一月廿八日 大浜 惣寺方 →新編岡崎市史「松平元康判物写」 …
「遠江国久津部郷之事」 右、当郷除諸給分、一円令扶助畢、息郷八郎為近習可令在府之由、尤以神妙也、但蔭山与次方岡部又次郎給分者、於国静謐之上者、以別所可充行于彼両人、其時五拾貫拾人扶持分、重而可令扶助者也、仍如件、 天文八 …
年来出置知行名田等之事 右、如父六郎左衛門尉時、於当城走廻之上者、如前々不可有相違、但弟共有之由、各覚悟次第可加扶助、守此旨弥可抽忠功者也、仍如件、 永禄三庚申年 七月廿八日 氏真(花押) 鱸内三殿 →静岡県史「今川氏真 …
遠江国犬居内知行分之事 右、任先判形之旨、永所領掌也、並棟別諸役以下、如年来免除之、若以増分雖有競望輩、不可有許容、出次第令所務、随其分量陣番可勤之、守此旨弥可励奉公之状、仍如件、 永禄ニ己未二月四日 氏真 尾上彦太郎殿 …