徳川家康、本多豊後守を呼び出す
尚々其方うたかい申事、神分ゝゝ無御座候、 御状談拝見申候、仍此地へ御越可有候、談合可申候、其方覧よく御入候由、祝着にて候、御出待入申候、恐々謹言、 八月廿一日 家康御書判 小坂井より 蔵人 豊後殿 返事 →戦国遺 …
尚々其方うたかい申事、神分ゝゝ無御座候、 御状談拝見申候、仍此地へ御越可有候、談合可申候、其方覧よく御入候由、祝着にて候、御出待入申候、恐々謹言、 八月廿一日 家康御書判 小坂井より 蔵人 豊後殿 返事 →戦国遺 …
去三日不慮之一戦、手之人数無比類走舞、得勝利、同心彼官手負、其外走廻候人数書立一覧、重可遣感状、然者、向後聊爾之行、堅可令停止之候、於違背之輩者、可成下知候、恐々謹言、 正月六日 氏真判 朝比奈兵衛大夫殿 →戦国遺文 …
其春同名藤太郎討死、無二忠節感悦不少候、後城退散之刻、同名以下雖属敵、引連親類、不相替馳走尤神妙候、殊更天沢寺三州入国已来、東西走廻入魂喜悦候、本意之上、先約之地聊不可有相違候、猶随波斎可被申候、恐々謹言、 九月十三日 …
如仰先日者、初而御参府候処ニ、於御館不得寸隙候条、爾而御物語不申、背本意存候、内々其已後可申処取乱候間、相過候、無音口惜候、仍従御舎兄越国之模様御注進候、可然子細共候、猶被聞召届候而、御注■様、御肝煎簡要候、然者今川殿以 …
御札拝見申候、昨日以飛脚如被申入候、去十五御着輿、氏政歓喜不大形候、御状之趣、石一口上承届、具氏政へ為申聞候、何篇ニも可被任置之由被申候、拙者事、大細内外毛頭無疎意、無二無三可走廻候、乍恐可御心安候、委細朝比奈弥大郎倩口 …
先段以飛脚如申述候、此度御輿入成就、誠大慶満足、何事歟可過之候哉、爰元之様子、為可洩堅聞、以川尻下野守申候、委細令附與彼口上候、就中当秋行之儀、御輿之儀ニ付而令延引候、此上者、三日之内氏直可致出馬由候、愚拙事者、爰元為仕 …
以鈴木申達候処、朝弥太郎被指添、始中終御懇答、殊七月可被入御輿儀、猶以御儀定之旨被顕御状候間、愚拙歓喜何事と可遂之候哉、心腹難尽筆紙候、就中五ケ条蒙仰候、一ゝゝ御返答申述候、然ニ沼田・吾妻急速可渡給由、弥御真実之模様、氏 …
此度中山番ニ者相除候、出陣之支度尤候、恐ゝ謹言、 五月三日 氏直(花押) 和田左衛門殿 同兵部丞殿 →戦国遺文 後北条氏編2532「北条氏直書状写」(武家書翰乾) 花押から天正11年に比定。 この度中山の番からは除外し …
大戸之地被取立由、殊嶮難ニ候歟、肝要至極候、委細者、氏直可被相達間、閣筆候、恐ゝ謹言、 三月二日 『北条左京大夫』氏政(花押) 安房守殿 →戦国遺文 後北条氏編2506「北条氏政書状写」(諸州古文書武州十二) 天正11年 …
其以来無音之間、令啓候、抑度ゝ於其表敵被討捕、手堅被及防戦候、戦功不浅次第候、将又東敵東口ヘ打出由候間、則武州・下総之者共申付、指向候、定敵敗北程有間敷候、就中上州口へ甲州衆可越山由、雖注進候、実説于今無之候、至于事実者 …