北条氏規、徳川家康に、氏直父子の取り成しを依頼する
貴札之趣、氏直父子具為申聞候、委細直被申達候、有御得心、可然様御取成所仰候、可得御意候、恐々謹言、 極月九日 北条美濃守 氏規(花押) 駿府 貴報人々御中 →戦国遺文後北条氏編3571「北条氏規書状写」(古証文五) 天 …
貴札之趣、氏直父子具為申聞候、委細直被申達候、有御得心、可然様御取成所仰候、可得御意候、恐々謹言、 極月九日 北条美濃守 氏規(花押) 駿府 貴報人々御中 →戦国遺文後北条氏編3571「北条氏規書状写」(古証文五) 天 …
森山表穀留之事、如先規堅可被申付、万一大途用所之儀者、以印判可申出者也、仍如件、 追而、先証文両通返遣候、以上、 己丑八月廿四日[「有効」朱印] 山角紀伊守 奉 原若狭守殿 同大炊助殿 →戦国遺文後北条氏編3488「北 …
今度御内書被成下候、忝奉存候、寔生前大事不可過之候、随而御馬一疋[青毛]、致進上候、併御内義之条如此候、御取成可為本望候、恐惶謹言、 十二月廿日 織田三介 信長 大館左衛門佐殿 人々御中 →織田信長文書の研究52「大館 …
慶長三年戊戌八月十八日、太閤様御他界、其前兼御遺言秀頼十五歳成候迄、家康輝元一年代り大坂に被相詰仕置き御頼候、其外諸大名も一年代はり相詰候様にとの儀、秀頼江無沙汰仕間敷旨、各起請文仕候得之由、諸大名不残上巻に起請文致、此 …
冨士上方之内屋敷分之事 一、大橋佐野兵庫助分 一、後藤大炊助分 一、大窪北原長貫事 一、大宮屋敷半分停止諸役事 一、水沼代官分、此内社役如年来相勤之、其外内徳分可所務事 已上、 合参拾八貫六百七拾九文者、 [但此内七貫 …
[懸紙ウハ書]「井出千代寿殿 治部大輔」 駿河国冨士上方之内稲葉給、并被官百姓居屋敷等、井出甚右衛門尉遺跡之事 右、依無男子、女子松千代仁千代寿申合、譲与之旨、証文明鏡之条、永領掌了、然而為蔭居分、弐拾貫地共、一円可令知 …
[懸紙ウハ書]「井出千代寿殿 治部大輔」 駿河国冨士上方之内、井出甚右衛門尉知行稲葉給、并被官百姓居屋敷之事 右、甚右衛門尉女子松千代爾、就令契約、為一跡彼地代々証判相副、如前々一円譲渡之旨領掌、向後不可有相違、同道者坊 …
今度上総行之砌、於殿太田源五郎越度刻、其方伯父賀藤源左衛門尉見届討死候、誠忠節不浅候、於氏政感悦候、然間一跡福可相続、然共只今為幼少間、福成人之上、相当之者妻一跡可相続条、其間者、源次郎可有手代者也、仍如件、 永禄十年[ …
原文はhttps://old.rek.jp/?p=7544。 このかた、てきけひいて候て、せひなく候、 出だしからいきなり難物なのだが、「てきけひいて」をどう読むかが判らない。関連文書の為敵船後巻、数艘令渡海以下の部分か …
林際寺僧衆、対朱印相出之上、当軍勢甲乙人等、聊以不可異儀、若於此旨違背之輩者、速可加成敗者也、仍如件、 天正十年 三月三日[印文「福徳」] 本多庄左衛門 奉之 →1499「徳川家康朱印状」(臨済寺文書) 臨済寺の僧衆は …