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覚書:弘中隆兼、こんに、厳島の戦況を伝え後事を託す

原文はhttps://old.rek.jp/?p=7544。

このかた、てきけひいて候て、せひなく候、

出だしからいきなり難物なのだが、「てきけひいて」をどう読むかが判らない。関連文書の為敵船後巻、数艘令渡海以下の部分から「敵の警固船」が関連しているのだろうという予想は立つのだが、類似の文が見つからず具体的にどのような漢字が当てられるのかを決められずにいる。豊前市史では「敵下ひいて」と示唆している。何れにせよ、「この方、敵の警固船がいて致し方ありません」という程度の意で良いと思う。

さりなからゝゝめつらしき事ハ、あるましく候、まゝ、御こゝろやすく候へく候、

「とはいえ珍しいことではありませんので、ご安心下さい」この解釈は特に問題はない。

ちんちうのきたうにて候まゝ、一ふてくたしおき候、

この文は前段の「特殊な事情が起きた訳ではない」を補強する文となる。「陣中の祈祷があるので、一筆申し上げました」という文は平易で解釈に問題なし。ただ、相手を落ち着かせようと細かく事情を書き立てている点は、必死さを感じる。

このき御きやうてん候ましく候、ゝゝ、けん大郎ことわたり候、

相手に平静を訴えつつ、子息と見られる「けん大郎=源太郎」が宮島に渡ったことを告げている。「このことで驚かれませんように」と「源太郎は渡海しました」の間にある「ゝゝ」記号が、隆兼のためらいを感じさせる。

きよ水又むせやらん、

紹介書によっては「水を咽るほど驚くでしょうか」としているものもあるが、「又」とあることから、前にあったことが繰り返される前提がある。そして、弘中氏の縁者と思われる清水寺尊恕という存在が知られている(大内輝弘、清水寺尊恕に知行を約束する)ことから、「きよ水=清水寺」と考えてよいように思う。この書状の宛所にも清水寺は入っている。

多分に推量が含まれるが、清水寺尊恕は隆兼から「せいすい」と呼ばれており、さらに泣き上戸・過保護・世話焼きな人だったのではないだろうか。源太郎を死地に伴ってしまった事の重大さは隆兼もまた認識していたからこそ「こん」に伝えたかったのだろうけれど、伝えた後で不安に押し潰されることを避けるため、「感情豊かな尊恕が知ったら、また大げさにむせび泣くでしょうか」と心配が杞憂であることを納得させようとしている。

つしまニよほくところへ、あてところにて候、

ここにある「よほく」は全く判らない。対馬守は別の清水寺・無量寺宛書状で、宛所に「弘中対馬守殿」とあるので一族の有力者だろう。用例がないため言い切り難いが、全体の文意、関連書状から推測すると「よほくところ=主だったところ」という意味かと考えている。

むめれう人ある事に候、頼申おくとの事候、

「梅を料人にすること、頼みを伝えておくと伝えました」で問題ないだろう。関連文書でも確かにそれを委託している。

めてたき■■■申候へく候、

「めでたい■■■をお送りしたいと思います」となる。消えた部分には「知らせ」を推定している。これは他文書の「しせんよきちうしんもあるへく候やとまち入」「吉事可申候」と合わせた形になる。勝負は判らないのだから、「吉報を待て」が自然だろう。

なをゝゝ申候、

ここから先は追伸となる。

むめれう人ある事に候、まゝ人体之事ハ、それの御はうたいにて候へく候、

「むめ=梅」を「れう人=料人」とすることとし、続けて「人体=身柄」はそこの「御はうたい=御法体=出家」にするようにとも指示している。料人にしてほしいというのは、財産相続権を持てる身分の女性にしてほしいということで、その希望は「大内義長の相続許可」で叶えられている。そして、その相続後は仏門に入ってほしいとしている。諸書で「然るべき相手と結婚するように」と解釈されているが、その場合は婿なり嫁なりと書く筈なので、隆兼の意図としては相続・出家だと見てよい。

かやうに申候とて、きやうてんハあるましく候、申候やうに、ちんちうのならいしか候、まゝ申事候ゝ、

このくだりは、再び「こん」を宥めるための文言が続く。「陣中の習いで言っているに過ぎない」と言いながら、何度も「驚くな」と書いているのは、隆兼がこういった書状を書いたのはこれが初めてだったからだろう。

こんとの動かるゝとすも■■■神領衆又けいこ三浦なと申て、

この文で読みづらいのは「すも■■■」で当初は「相撲人」としていたが、トロロヅキさんのコメントで「すもし候へ=となるだろう→推量」ではないかというご指摘をいただいた。得体の知れない相撲人より意が通りやすいので「今度の作戦は楽々できるだろうと神領衆や警固・三浦などが言って」と変更した。

如此候、口惜候、

「このようになりました。悔しいことです」というこの一文に隆兼の無念さが凝縮されているように感じる。ここまで踏み込んだ言葉は、清水寺・無量寺宛では書かれていない。

古はくになかもちおき候、しせんの時ハめしよせ候へく候、又太刀も古はくに候、とりよせ候へハ候、

ここからは財産分与の指示なる。琥珀院に、万一を考えて長持を置いているという。この長持の存在を「こん」が普段から知っていたらこの指示はないだろうから、緊急時には琥珀院から返却される段取りになっていたのだろう。ただやはり心配で、長持・太刀の存在を「こん」に伝えている。

コメント 2

  • こんばんは。
    ええと弘中さんの文章を読ませて頂きました。

    「敵けひいて」は「敵の警固がいて」の意で間違いないと思います。
    「このき御きやうてん候ましく候」は源太郎の渡海ではなく
    前の「ちんちうのきたうにて候まゝ、一ふてくたしおき候」の箇所にかかるようです。
    なので源太郎のことは続く一族の渡海状況と合わせているようです。
    ですので、「きよ水又むせやらん」は「きよ水又むりやうし」となり
    「清水寺と無量寺」をさすそうです。
    豊前市に秋山先生が直接行かれ、現物を見て、
    訳を一部修正されたものがこの間の講義で渡されました。
    なので、今までの資料は怪しいのかもしれません。
    特に豊前市のは弘中さんって誰状態が長いことあったようで
    この史料が注目されることがなかったこともあり
    昔の資料は結構微妙な訳になっているかもしれません。

    それから「人躰」ですが、本当は「人柄」という意味なんだそうです。
    しかし、戦の場合は「大将」をさし、お家騒動の時は「後継者」など
    場面によって重要な人物、鍵となる人物のことをさすようで
    この場合は梅にとっての鍵となる人物なので「婿」の事になるそうです。
    また、「人躰之事ハそれの御はうたいにて候へく候」の
    「はうたい」は「ほうだい」であって漢字に直すと「放題」になり
    「それ」は「貴方」のこと。なので「婿のことはお前の好きなようにするがいい」
    という訳になるそうです。
    実際、この後、梅は九州の宇都宮氏の家臣西郷氏に嫁いでいますし
    女の幸せ=良い結婚だと思われていた時代ですので先生の訳で間違いはないかなと思います。

  • 貴重な情報ありがとうございます。大変勉強になりました。

    「むせやらん→むりやうし」のご説明から、原文の写真を見て「ニほよく」が「志よほく=諸卜」と判りました。

    「きよ水又むせやらん、つしまニよほくところへ」
    →「きよ水・又・むりやうし・つしま・志よほくところへ」
    =「清水・又・無量寺・対馬・諸卜所へ」

    ということですね。ようやく腑に落ちました。原文史料の解釈を改変しています。ただ、清水寺・無量寺・対馬守・諸卜軒が渡海していたとは今のところ判断できずにいます。別途書状を出していることから、在地にいた可能性が高いかと。遺言を託すからには、ある程度安全な場所にいる相手を選ぶだろうという点もあります。

    「人躰」「御はうたい」についての解釈点も参考になりました。ただどちらも「料人」の意味次第かと考えて今のところ保留にしております。「料人」「御法体」「御放題」の何れも私は解釈した経験がないため、慎重に調べていこうと思います。

    女子への相続を扱った今川・後北条の文書をいくつか見つけたので、これからアップしていきます。またお気づきの点がありましたらご指摘下さい。

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