[竪切紙]急度令啓候、今般遠境御長陣、万端御苦労令察候、遠国就令在陣、疎意之様ニ存計候、仍徳川家康和親望之趣、頻而申候間、時儀落着、尽未来際可有入魂ニ相定候、然者今十二武州へ被納馬候条、三日之内令帰宅候、軈而可為御帰国候、遂面上時分可申承候、恐ゝ謹言、
追啓、松川美作守致死去候由、無是非候、御陣中無御心元候間、自小田原以使可申候、以上、
霜月十二日
松田尾張入道 憲秀(花押)
上野筑後守殿
御陣所
→戦国遺文 後北条氏編2446「松田憲秀書状」(高橋義隆氏所蔵文書)
天正10年に比定。
取り急ぎご連絡します。今般遠い前線で長陣となりまして、色々とご苦労なさっていることお察しします。遠い国での在陣いただき、懇意にできなかったという思いばかりです。さて徳川家康から和睦を望んでいるとの趣旨、しきりに言ってきましたので、タイミングもあって落着しました。未来の際が尽きるまで入魂にするよう定めました。ということで、今日12日に武蔵国へ馬を納めましたから、3日以内に帰宅します。すぐにご帰国なさるでしょうから、面談を遂げた折にお話を承ります。