葛山氏元、鈴木若狭守・武藤新左衛門尉・芹澤玄蕃允に、過所銭納入を求める
過書銭之儀、当■殊外上之由申条、三人前急度可納所、塩荷被留候条、只今まて上候荷物之儀可納所、為其小者秋若遣者也、仍如件、 永禄十年卯 [印文「萬歳」Ⅲ型]八月十七日 鈴木若狭守■ 武藤新左衛門尉殿 芹澤玄蕃允殿 →戦国遺 …
過書銭之儀、当■殊外上之由申条、三人前急度可納所、塩荷被留候条、只今まて上候荷物之儀可納所、為其小者秋若遣者也、仍如件、 永禄十年卯 [印文「萬歳」Ⅲ型]八月十七日 鈴木若狭守■ 武藤新左衛門尉殿 芹澤玄蕃允殿 →戦国遺 …
就稲荷之地在城申付、八幡領一円預置候、昼夜走廻不可有油断者也、仍如件、 天正十二年 (上杉景勝朱印[立願 勝軍地蔵 摩利支天 飯縄明神]) 五月十七日 松田民部助殿 →上越市史2938「上杉景勝朱印状」(長野県松田孝弘氏 …
沼田在城尤ニ候、并信州八幡松田一跡、但百卅貫文除、其外知行・同心共ニ出置者也、仍如件、 天正十年 六月廿九日 景勝(朱印[摩利支天月天子勝軍地蔵) 遠山丹波守殿 →上越市史2433「上杉景勝朱印状」(上杉博物館所蔵文書) …
着到之事 弐本 小旗持 三挺鉄炮放 何も指物可持 三張 射手 何も指物可持うつほ可付 壱本 手鑓 壱騎 自身 三騎 何も指物可指 八本 長柄 以上弐拾壱人 右、自今以後大方如此可有勤仕候、自前ゝ之筋目ニ候間小幡可為馬寄 …
[折紙]此度可致忠信由、しんみやうニ候、はたらきしだい、大くるみあいわたすに付而者、馬上之者に十貫つゝ、かちしゆニ者三貫つゝ、いといもり下く屋ぬます之内をもつて、ふちよすへしく候、いつれもあひたんち、きつそくちうしんもつ …
[切紙]三挺 鉄炮 三張 弓 十本 鑓 四人 歩者 已上廿人 右、小諸為当番、大道寺駿河守指置候、依之上州衆指添候、大切之番候間、右之員数一人無不足、同名衆同心衆之内覚之衆を以、可相勤候、何も記交名可指上、番帳ニ可留置 …
[折紙]知行方 四貫文 広木御領所分 拾貫文 於西上州被下、 以上、拾四貫文 右、近年無足おゐて走廻候間、如斯出置候、壱疋一両相嗜、弥ゝ可走廻、進退不被罷成ニ付而者、重而可加扶持者也、仍如件、 辰[翕邦把福朱印]三月六 …
新儀ニ申付四艘之早船、乗組四十人、此扶持給貮百四拾貫文、自来暮速ニ可被下候、従前ゝゝ定少雖不足候、先当年一廻ハ此分可請取、走廻次第、従来年御加恩可被下者也、仍如件、 [朱印] 天正三年[乙亥]三月廿五日 安藤豊前入道 奉 …
鎌倉御領之内、経師谷尊養院屋敷分之事、四貫百二文、彼寺其方実子相拘ニ付而渡置、彼替従其方手前可出由御心得被成候、自今以後、尊養院へ年貢不可有催足候、以此印判、代官へ可及断、然者、彼替四貫百二文、岩本一騎合、於小田原給置間 …
[懸紙上書]「西浦百姓 大川兵庫助 評定衆」 西浦小代官藤守、或年貢を百姓ニ不為計而手前にて相計、或升目を掟之外取候、実犯露顕之上、被為籠舎、彼虚妄不出者、可被処死罪候、兎角向後彼藤守西浦へ被遣間敷旨、被仰出者、仍如件 …