酒井忠次、筧十郎の軍功を賞し負傷の様子を質問する
今度貴所御働、無比類之段、元康江則申聞候、異御うち取候段、是又無比類候、御手いかゝ御座候哉、拙者相意得候へ之由、元康被申候、重而可申入候、恐々謹言、 七月廿八日 酒左 忠次 筧平十郎殿 →新編岡崎市史「酒井忠次書状写 …
今度貴所御働、無比類之段、元康江則申聞候、異御うち取候段、是又無比類候、御手いかゝ御座候哉、拙者相意得候へ之由、元康被申候、重而可申入候、恐々謹言、 七月廿八日 酒左 忠次 筧平十郎殿 →新編岡崎市史「酒井忠次書状写 …
就高橋筋之儀、早速至于岡崎着陣之由候、■気之時分、辛労無是非候、飯尾豊前守・二俣近江守有談合、馳走専要候所、注進可差遣之人数候、猶朝比奈備中守可申候、恐々謹言、 十二月二日 義元判 奥平監物丞殿 →静岡県史「今川義元書状 …
敵信州表江就罷出候、自岩村被申越候、武節へ乍御大儀早ゝ可被相移候、不可有油断候、仍而如件、 十一月六日 家康 松平左近殿 1572(元亀3)年に比定。 →岐阜県史「徳川家康書状写」(武家事紀) 敵が信濃国方面に現われた …
先度以後可申通覚悟処、尾州当国執相ニ付而、通路依不合期無其儀候、其御理瓦礫軒安心迄申入候、参着候哉、仍一昨日辰刻、次々■朝倉太郎左衛門、尾川州織田衆、上下具足二万五六千、惣手一同至城下手遣仕候、此方雖無人候罷出、及一戦織 …
其後絶音問候、本意外候、、仍先月濃州相働、井口近所取出城所ゝ申付候、然者、犬山令落居候、其刻金山落居候、其外数ヶ所降参候条、令宥免候、其上勢州辺迄、如形申付候、以直書申候条、不能具候、恐々謹言、 九月九日 信長 直江大和 …
美濃守殿御儀、不慮之仕合、無是非儀ニ候、御身上之儀、相違有間敷候由、道三申候、委細可被任稲葉伊予守差図者也、備後守病中故、我等方より如此ニ候、恐惶謹言、 十一月五日 織田與十郎 寛近(花押影) 土岐小次郎殿 →岐阜県史「 …
急度令馳一簡候、仍信玄濃州之内遠山号岩村認候処、城主取合、敵数多討捕、敵追払候、則織田信長兄弟ニ候織田三郎五郎・河尻与兵衛、遠山岩村江入置、遠山七頭織田被入手候、惣躰遠山証人信玄ニ、差置候処ニ、遠山兄弟病死候付、此度信玄 …
去ゝ月、此方使僧帰路之節、尊書并貴国家老従両人芳問、何以致拝披候、条々御懇之趣、本望之至候、其以来、則太守へ竜興雖可被申展候、遠山かたへ始末被迎送、彼方誓紙已下相固、可為申候歟、是又御指南次第候、両所へ愚報乍恐可預御伝達 …
久松源三郎指越処、御馳走悦喜申候、只今委細御示、得其意候、被入御念候儀、難申尽候、尚期後音候、恐々謹言、 松平蔵人 十月廿日 家康(花押影) 岩手右衛門佐殿 →戦国遺文 武田氏編「松平家康書状写」(山 …
今後御自身御合力被山越、委細尊書過分之至存候、誠治部大輔被散多年之鬱憤候、併被加御威力存候、満足不過之候、薫態可申入旨、能々可有御披露候、恐惶謹言、 十一月十八日「各内之中より御返事如此」 板垣駿河守殿 →戦国遺文 武田 …