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『覚悟を見届ける』

古文書を読み出してからやたらとアップしている。何だかサイトがとっつきにくくなるし、衒学的な雰囲気で余り好ましくないと時折思う。ではあるのだが、古人の書状がまた無類に面白い。こればっかりは止められそうにない。

まず、戦国時代の文書は見た目よりルーズで未解明な言葉ばかりだ。当て字の多さや代名詞の曖昧な用法に戸惑うことが多い上、年次不明なものが圧倒的に多いため年次比定がややこしい。まるでパズルを解いていくような感じで、頭を悩ましつつ解釈していくと、ある時ひょいと文書同士がつながったりする。ここが最大の醍醐味だ。

そしてまた、現代語にはない秀逸な表現を見かけることもある。最近見た中では『覚悟を見届ける』が、今のところ印象に残っている。

彦九郎覚悟不見届間者、可為清房計
「彦九郎の覚悟を見届けていない間は、清房からの相続を承認できない」(今川氏真)

弥其方覚語見届候ハ、何分ニモ可引立間、心易可存事
「覚悟を見届けたら引き立てるだろうから、安心してほしい」(上田長則)

氏真・長則は部下にこう釘を刺す。それはその責務の汚れ仕事も引き受ける「覚悟」であり、最終的には己が身を賭けても職を全うしようとする「覚悟」である。「覚悟」とは当事者意識と言い換えてもよいように思う。

私も小規模ながら会社組織に属している。結構よく見てきたのが「職によって人は変わる」ということだ。小規模なチーム、単一の部署、それらを束ねた部局、または緊急時のタスクフォース、それぞれの責任者になった際に性格すら変わることはままある。優秀な現場プレーヤーが意外と駄目だったり、ぱっとしなかった人材が急に奮起して輝いたり。実は結構任命されるまで判らなかったりする。不相応な立場に潰れていく例も多かった。

管理職になれるかどうか、それは当事者意識を持って責務を果たそうとするかにかかっているように感じる。才に長けて現場経験が豊富だったとしても、いざという時に「雑用ばかりで、こんなの自分本来の仕事じゃない」と言い出すと碌なことにならない。有用な組織の管理者というのは、往々にして雑用の世話係だったりする。覚悟=当事者意識を持つならば、雑用で事が進むならば厭うまい。

『覚悟を見届ける』という表現は、人材管理の本質をうまく言い当てている、と個人的に思う。

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