今川氏真、山吉豊守に、上杉輝虎が直接の連絡を拒んだことを告げ馳走を依頼する
雖以直書可申入候、両三度不預御返答候、不審之処ニ、書礼慮外之由、於其国御存分之由承及候、更一両年以来相違之儀無之候、但自然御存分有之者、可認置候、○[不可有略儀候、]諸事相紛処、不可過御計量旨被成取、進退之義、弥御馳走其 …
雖以直書可申入候、両三度不預御返答候、不審之処ニ、書礼慮外之由、於其国御存分之由承及候、更一両年以来相違之儀無之候、但自然御存分有之者、可認置候、○[不可有略儀候、]諸事相紛処、不可過御計量旨被成取、進退之義、弥御馳走其 …
親候義元以来之被任筋目、態御使僧、祝着候、殊ニ向後別而可被仰合由、勿論ニ候、猶朝比奈備中守・三浦次郎左衛門尉可申候、恐々謹言、 十二月廿一日 源氏真 謹上 上杉殿 →戦国遺文 今川氏編2158「今川氏真書状写」(上杉家 …
[印文「帰」]するかの国さわたのかうのうち、にしふん五とうせんゑもんあいかゝゆるてんはくやしきの事 右、きたかわ殿御とき、けんちあつて御さためのことく、百六十三くわん六百文ねんくいけさういなくなつしよせしめ、ひやくしやう …
[端裏書]「十一月晦日」 内谷村長慶寺方酉年指出之事 五石弐斗八升 此内損毛壱石八斗一升五合 三郎兵衛分 六石三斗 同三石三斗四升五合 三郎衛門 六石五斗 同弐石一斗二升 千代大郎分 拾弐石六斗 同四石弐斗七合 海蔵寺 …
得願寺代々被拘置末寺・末庵之事 右、如前々当寺可為支配、若対当住於無沙汰之輩者、従本寺可被相計者也、 天文廿年九月廿三日 治部大輔(花押) 得願寺 宗英和尚 →戦国遺文 今川氏編1037「今川義元判物」(静岡市駿河区向 …
義元袖判 たゝしうつたりちやうけいしかたむまのとしよりのそうふん、弐拾俵の事ハ、水のミの弥七郎に、わか身そんしやうの内ハ出し候、のちゝゝの事ハゐんはんのことく一ゑんにしよむあるへし、かしく、 [印文「帰」]天文十八年[ …
節々音問祝着候、如露先書候徳一色落居、元来堅固之地利ニ候之間、不及普請、本城三枝土佐守二三之曲輪、朝比奈駿河守・同名筑前守在城、去十五日清水之津江移陣築地利、岡部豊前守以下海賊衆差置、今日納馬候、佐久郡衆者其表之備ニ候之 …
今度花澤有城中、正月四日ニ於小坂口討候間、御走回候、同十六日ニ於大手口鑓合、無比類御働候、氏真様於御本意者、御忠信之段急度御談合可申者也、仍如件、 午 二月五日 大原肥前守 資良(花押影) 鱸木源六殿 →戦国遺文 今川 …
(今川義元花押) [印文「帰」]するかのくにしたの郡うつたりの郷のうち、ちやうけいしかた[田はたけ 山屋しき]本そう共ニ一所之事 右、ほたいのために、新きしんとして、なかくまゐらせ候うへハ、ちきに取務あるへく候、かしく、 …
駿河国大平郷之内、善兵衛名弐拾壱貫文地之事 右、為慈雲心月毎日霊供分、任臨済寺殿寄進之旨、令領掌畢者、停止諸役等、令寄附之者也、仍如件、 天文十七[戊申]年八月十六日 治部太輔(花押) 得願寺 →戦国遺文 今川氏編87 …