史材

羽柴秀吉、飯田半兵衛尉が美濃守のため奔走したことを謝す

 尚ゝ、馳走通富田懇申聞候、 今度者、美濃守為名代差下候処ニ、別而馳走候由、誠被入念、返給候へく候、近日三介殿可有御上洛候間、其時可申候、尚此両人可被申候、謹言、 正月甘八日  秀吉(朱印) 飯田半兵衛尉殿 →埼玉県史6 羽柴秀吉、飯田半兵衛尉が美濃守のため奔走したことを謝す

大内義長、こうへ、厳島の戦況に対する気苦労を慰める

いつくしまおもての事、もうきすいりやう候、こなた心中とうせんに候、しせんよきちうしんもあるへく候やとまち入、いかかに候、なをたんこの守申へく、かしく、 十月三日  よし長(花押) おこう まいるへく候 →豊前市史「大内義 大内義長、こうへ、厳島の戦況に対する気苦労を慰める

弘中隆兼、清水寺・無量寺らに厳島での戦況を伝え後事を託す

為敵船後巻、数艘令渡海、敵城へ人数差籠成相候、此方警固数依無之、如此之儀、不及是非候、既水手迄堀崩事候、隆兼父子渡海之上者、可立御用事勿論候、然者息女梅〓[米+斤]人事、在之儀候条、当知行之儀者不及申候、御約束地無相違拝 弘中隆兼、清水寺・無量寺らに厳島での戦況を伝え後事を託す