北条氏、和田左衛門尉に、来る十二月の北条氏政上洛を伝える
当方上洛之儀、自京都依御催促、此度及御返答之間、彼御挨拶心腹ニ相叶ニ付而者、来冬之極月、御陰居可為御上洛候、依之二三ケ条之筋目、口上ニ申付候、仍如件、 六月廿三日[虎朱印] 和田左衛門尉殿 →小田原市史1946「北条家朱 …
当方上洛之儀、自京都依御催促、此度及御返答之間、彼御挨拶心腹ニ相叶ニ付而者、来冬之極月、御陰居可為御上洛候、依之二三ケ条之筋目、口上ニ申付候、仍如件、 六月廿三日[虎朱印] 和田左衛門尉殿 →小田原市史1946「北条家朱 …
< blockquote> 拙者父子一人可令上洛旨、御両使御演説之条ゝ、具得心仕候、然者老父氏政可致上洛由申候、年内者雖可為無調候、涯分令支度、極月上旬、爰元可致発足候、委細直ニ可申述候、可然様頼入候、恐々謹言、 …
沼田可渡由有之而、自京都冨田・津田、沼田へ可為参着由候、依之安房守半途へ打出為陣取、自是為請取手、左衛門佐指遣候、 一其方人衆之内、馬・人以下被撰立、能衆弐百余人、自身安房守可為同途、歩者者、何もひやくゑ、馬上者、或袖ほ …
山角紀伊守所へ之御状披見、并津隼・冨左文見届候、尤以使樽以下被遣可然候、彼両所へ可被仰届案書、自御陰居可被進由候間、不能具候、恐々謹言、 七月廿四日 氏直(花押) 美濃守殿 →小田原市史1954「北条氏直書状写」(大竹 …
雖無指儀候、商人左近士上洛候間、及一翰候、抑其以来海陸共ニ不合期候条、無音、誠背本意候、勇健ニ御入候哉、旦夕御床敷候、就中関東表之事、逐日氏直令静謐候、路次在自由、今一度遂会面度念望迄候、随而雖不珍候、八丈嶋[黄白]一合 …
八十一難経伝受之事、 無謾軽医経 無道聴塗説 無■他嘲■ 右、盟■不可有■違者也、 天正六年孟夏吉日 氏政(花押) 一謳軒 →小田原市史1278「北条氏政判物」(広島市・広島大学文学部所蔵猪熊文書)
出陣以後是非不申届候、手前取乱儀者雖勿論候、背本意候、又兎角不承候、恨入候、然而今度之動、越国表迄、如思召候之条、定可為大慶候、将又鷹証本草之抜書ニ候、遣之候、委細ニ仮名・点被付可給候、次任珍事、鮭三尺遣之候、賞味可為祝 …
[印文「如律令」]年来免許棟別四間事 右、今度惣国免許棟別為一返之儀申付之処、無異儀所令沙汰也、然者雖有先印判、火電時令焼失云々、雖残書戴于免許帳之旨奉行申状明鏡之間、重而所成■■■[印判也]、自今以後年来押立人足・竹木 …
安倍西河内棟別免許之事 村又村 坂本 長津又 柿嶋 池谷 大淵 横澤 大澤 腰越 内匠村 平瀬 落合 萓間 以上 右、今度就三州急用、分国中免許之棟別一返雖取之、任天沢寺殿印判之旨、不準自余之条所令免除也、縦重免除之棟 …
御免棟別何茂一返被仰付候、然者其方御手前其外役人寺方何も被指置、惣次ニ候へ共、重而三浦備後守方御承にて、何茂可相破之由候処、備後守方ヘ子細被仰分、其上同心河口方を以、古槇平三郎方へ被仰届断相済候間、向後惣国相破候共、如先 …