沼田可渡由有之而、自京都冨田・津田、沼田へ可為参着由候、依之安房守半途へ打出為陣取、自是為請取手、左衛門佐指遣候、 一其方人衆之内、馬・人以下被撰立、能衆弐百余人、自身安房守可為同途、歩者者、何もひやくゑ、馬上者、或袖ほそ・かわはかま・たうふくの類、武具ニてハ有間敷候、 一弓・鉄炮なとハ、調次第如何ニも奇麗ニ尤候、火急之儀候間、不成儀をハならぬ一理迄ニ候、恐々謹言、
追而日限者、来廿五、六之儀ニ可有之候、以上、
七月廿日
氏直(花押)
安中左近大夫殿
→小田原市史1953「北条氏直書状」(市谷八幡神社文書)
天正17年に比定。
沼田が引き渡されるということがあり、京都より冨田・津田が沼田へ行くそうです。よって安房守が途中まで出て行って陣を構えます。こちらからの受け取り手として左衛門佐を派遣します。一、あなたの部隊から馬・人を選んで、精鋭200余人を編成、あなた自身は安房守に同道して下さい。歩兵は全て白衣、騎馬兵は袖細か皮袴・道服の類で、甲冑を着けてはいけません。一、弓・鉄砲などは揃い次第ですが美麗にするのが望ましいです。火急の用件なので、「できない」ことは認められません。