今川義元、徳願寺の駿河大平郷内の寺領を保証する
駿河国大平郷之内、善兵衛名弐拾壱貫文地之事 右、為慈雲心月毎日霊供分、任臨済寺殿寄進之旨、令領掌畢者、停止諸役等、令寄附之者也、仍如件、 天文十七[戊申]年八月十六日 治部太輔(花押) 得願寺 →戦国遺文 今川氏編87 …
駿河国大平郷之内、善兵衛名弐拾壱貫文地之事 右、為慈雲心月毎日霊供分、任臨済寺殿寄進之旨、令領掌畢者、停止諸役等、令寄附之者也、仍如件、 天文十七[戊申]年八月十六日 治部太輔(花押) 得願寺 →戦国遺文 今川氏編87 …
向後可抽忠信之旨申候之間、所望之地可被下置候、弥戦功肝要候之者也、仍如件、 永禄十三年[庚午] 土屋右衛門尉奉之 ■月三日 朱印 朝倉弥六郎殿 →戦国遺文 今川氏編2439「武田家朱印状写」(国立国文学研究資料館所蔵紀 …
今度籠城之内、其方ニ随遂之貴賤、此間不可有相違之条、弥加悃切可為同心之旨、被仰出者也、仍而如件、 永禄十三年正月五日 土屋右衛門尉奉之 岡部次郎右衛門殿 →戦国遺文 今川氏編2437「武田家朱印状写」(国立国会図書館所 …
其方相抱なくるミの城へ、今度北条境目者共令手遣、物主討果、彼用害北条方江法之之旨候、此比氏政可致出仕由、最前依御請申、縦雖有表裏、其段不被相搆、先被差越御上使、沼田城被渡遣、其外知行以下被相究之処、右動無是非次第候、此上 …
出銭之書出 壱貫八百四十八文 右、御隠居様就御上洛、出銭被仰付候、来晦日を切而可調、此日限相違付而者、可為越度、永楽・黄金・麻、此三様之内成次第可調、仍如件、 丑 十月十四日[朱印「楼欝」] 高瀬紀伊守殿 →小田原市史 …
条々 一、兵粮奉行長束大蔵大夫、并小奉行十七人被仰付事、 一、年内従代官方弐拾万石請取之、来春早ゝ船ニ而駿州江尻・清水江令運送、蔵を立入置、惣軍勢江可相渡事、 一、黄金壱万枚請取、勢州・尾州・三州・駿州ニ而八木買調、小田 …
条々 一、来春関東陣軍役之事、 一、五畿内半役、中国四人役之事、 一、北国六人半役之事、 三河・遠江・駿河・甲斐・信濃七人役之事、 右、任軍役書付之者、来三月令出陣、小田原北条滅亡、可有忠勤者也、仍如件、 天正十七年丑十 …
[懸紙ウワ書]「真田伊豆守殿」 今度関東八州出羽陸奥面ゝ分領、為可被立堺目等、津田隼人正・冨田左近将監、為御上使被差下候、為案内者可同道、然者従其地沼田迄、伝馬六十疋・人足弐百人申付、上下共可送付、路次宿以下馳走肝要候也 …
覚 一、従京都御当方年内可為御上洛旨、御使始終之様子、雖無御得心候、此度条ゝ御使者江御返答之間、依彼御挨拶、御隠居来冬中必可為御発足事、 一、自諸手御上洛之出勢并出銭、又御国之御仕置、諸色兼日可被成置意趣条ゝ之事、 …
[懸紙ウワ書]「伊達左京大夫殿 人々御中 施薬院 全宗」 其以後者無差儀候之条、致無音候処、道有罷下間令啓上候、京都弥属静謐、九州諸大名在洛候、東国之儀も無事罷成、北条美濃守今度被上洛、御礼被申上候、然者貴殿之儀、其 …