高村

羽柴秀吉、飯田半兵衛尉が美濃守のため奔走したことを謝す

 尚ゝ、馳走通富田懇申聞候、 今度者、美濃守為名代差下候処ニ、別而馳走候由、誠被入念、返給候へく候、近日三介殿可有御上洛候間、其時可申候、尚此両人可被申候、謹言、 正月甘八日  秀吉(朱印) 飯田半兵衛尉殿 →埼玉県史6 羽柴秀吉、飯田半兵衛尉が美濃守のため奔走したことを謝す

大内義長、こうへ、厳島の戦況に対する気苦労を慰める

いつくしまおもての事、もうきすいりやう候、こなた心中とうせんに候、しせんよきちうしんもあるへく候やとまち入、いかかに候、なをたんこの守申へく、かしく、 十月三日  よし長(花押) おこう まいるへく候 →豊前市史「大内義 大内義長、こうへ、厳島の戦況に対する気苦労を慰める

弘中隆兼、清水寺・無量寺らに厳島での戦況を伝え後事を託す

為敵船後巻、数艘令渡海、敵城へ人数差籠成相候、此方警固数依無之、如此之儀、不及是非候、既水手迄堀崩事候、隆兼父子渡海之上者、可立御用事勿論候、然者息女梅〓[米+斤]人事、在之儀候条、当知行之儀者不及申候、御約束地無相違拝 弘中隆兼、清水寺・無量寺らに厳島での戦況を伝え後事を託す

北条氏政、北条氏邦に、上野沼田城請け取りについて指示する

十二日之一札、今十四申刻披見、 一、沼田・吾妻之儀付而、自是も申候キ、 一、人衆者、上下両手ニ千程可有之候歟、自妙音院書立被越候、 一、沼田ニ而もたいの儀者、城不請取間者、自元為如何、自此方貸可有之候、 一、妙音院、明日 北条氏政、北条氏邦に、上野沼田城請け取りについて指示する

北条氏、和田左衛門尉に、来る十二月の北条氏政上洛を伝える

当方上洛之儀、自京都依御催促、此度及御返答之間、彼御挨拶心腹ニ相叶ニ付而者、来冬之極月、御陰居可為御上洛候、依之二三ケ条之筋目、口上ニ申付候、仍如件、 六月廿三日[虎朱印] 和田左衛門尉殿 →小田原市史1946「北条家朱 北条氏、和田左衛門尉に、来る十二月の北条氏政上洛を伝える