高村

武田勝頼、岡部丹後守に新知行を与えて氏真方につかないよう依頼

定 一 遠州 青柳三ケ郷 千百七拾三貫七百文 一 同所陣夫 拾三人 一 同州勝間田之内 大沼之郷 百弐拾壱貫文 一 同所陣夫 壱人 一 同州勝間田之内 布施方 廿四貫五百文 一 同所陣夫 壱人 一 同州勝間田之内 三栗之 武田勝頼、岡部丹後守に新知行を与えて氏真方につかないよう依頼

今川氏真、朝比奈弥太郎に、徳川家康との仲介を依頼する

万々渡海之儀辛労ニ候、然者家康申給候筋目於相調者、一段可為忠節候歟、甚内方へ能々可申計候也、仍如件、 九月十一日  宗誾(花押) 朝比奈弥太郎殿 →戦国遺文 今川氏編2584「今川氏真判物」(神奈川県川崎市・鎌田武男氏所 今川氏真、朝比奈弥太郎に、徳川家康との仲介を依頼する

武田勝頼、上杉景勝に、新府城への転居前に伊豆出兵する旨を伝える

「上杉殿[切封墨引]勝頼」 新館之普請、令出来之旨、被聞召及、為祝詞、三種并柳五十贈給候、誠御入魂之至、不知所謝候、内々近日可移居心底二候之処、氏政家僕松田尾張守次男笠原新六郎、豆州戸倉之在城、不慮二属当方幕下候之条、為 武田勝頼、上杉景勝に、新府城への転居前に伊豆出兵する旨を伝える

武田勝頼、曽禰河内守に、伊豆戸倉での松田新六郎援助を命ず

廿七日之書状遂披見、得■意候、一、如顕先書候、今度松田新六郎忠節無比類候、併其肝煎故候、一、戸倉へ之加勢以出合被相移之由尤候、弥人数無不足指籠、堅固之仕置専一候、一、松新家中長敷者之人質、早速加催促、可被請取儀肝要候、一 武田勝頼、曽禰河内守に、伊豆戸倉での松田新六郎援助を命ず

笠原政晴、伊豆国衙で署判を発す

天正八年庚戌  七月三日   笠原    政晴(花押) →小田原北条史文書補遺26「笠原政晴署判写」(古文書花押写六)※「笠原政晴贈在庁知行書附」「豆州君沢郡安久村土民所蔵」と注記あり。

北条氏直、小幡兵衛尉に、羽柴秀吉への投降の意を伝える

今度関白殿へ出頭之儀、遠慮之旨雖有之、媒介之各手堅筋目被申候条、令同意候、今夕使衆重而申談、切組等委細明日中可相定候条、其砌始中終遂内談、可落着候、殊本国之儀妄ニ雖成来候、既出仕之上者、先規不可有異儀由候、依之先内ゝ申断 北条氏直、小幡兵衛尉に、羽柴秀吉への投降の意を伝える

北条氏直、小幡兵衛尉に、羽柴秀吉との和睦交渉の様子を報ずるとともに、なお油断なく守備を固めさせる

 覚 一、扱之様子之事、 一、扱之取沙汰ニ付而、諸役所油断之由候、改而堅固之仕置肝要候、  以上 六月十二日 [貼紙]「調」朱印 小幡兵衛尉殿 →小田原市史 小田原北条2 2073「北条氏直覚書写」(東京都目黒区尊経閣所 北条氏直、小幡兵衛尉に、羽柴秀吉との和睦交渉の様子を報ずるとともに、なお油断なく守備を固めさせる