廿七日之書状遂披見、得■意候、一、如顕先書候、今度松田新六郎忠節無比類候、併其肝煎故候、一、戸倉へ之加勢以出合被相移之由尤候、弥人数無不足指籠、堅固之仕置専一候、一、松新家中長敷者之人質、早速加催促、可被請取儀肝要候、一、近郷之地下人、太略召連、妻子戸倉へ相移候之由可然候、一、自泉頭出足軽候之処、為始安井次太夫、戸倉衆出合、城内へ追入、近辺之郷村放火之由心地好候、一、松新人数并地下人等戸倉ニ有留候輩、又敵地へ退候者共、慥被聞届注進尤候、一、獅子浜之儀自落候否聞届度候、一、為始梅雪斎、信・上之諸卒、今朝指立候キ、至着城者、毎事可有相談候、勝頼も不日二可出馬候、猶敵説被聞届、節々注進尤候、恐々謹言、

十月廿九日

 勝頼(「勝頼」朱印)

曽禰河内守殿

→戦国遺文 武田氏編3619「武田勝頼書状」(山梨市・平山家文書)

天正9年に比定。

 27日の書状を拝見、その意を得ました。一、先の書状で書いたように、この度の松田新六郎の忠節は比類がありません。そしてその援護として、一、戸倉への加勢は出撃に合わせて移られるとのこと、もっともです。ますます兵員に不足なく籠らせ、堅固な措置が専ら重要です。一、松田新六郎の家中で主だった者の人質は早く催促して受け取られることが大切です。一、近郷の民間人は大半を招集し、妻子は戸倉へ移らせるとのこと、そのようにして下さい。一、泉頭より足軽を出したところ、安井次太夫を初めとして戸倉衆が出撃、(それを)城内へ追い込み近辺の郷村を放火したとのこと、心地よいことです。一、松田新六郎の部隊と民間人で戸倉へ留める者たち、また敵地へ退く者たちは、確実に調査して報告するのがもっともです。一、獅子浜のこと、自落したかどうか報告して下さい。一、梅雪斎を初めとして、信濃国・上野国の諸勢が今朝出立しました。城に到着したら、色々と相談して下さい。勝頼も日をおかず出馬するでしょう。さらに敵の情報を調査して、折々に報告するのがもっともです。

Trackback

no comment untill now

Sorry, comments closed.