今川義元、牧野右馬允に在城中の法度を下す
一在城五ヶ年之内就右馬允雑説於有之者、遂糾明可申付事 一五ヶ年之内在城相止段於成下知者、只今就在城宛行分者、永不可有相違事 一在城之内為在所見廻可罷越、但至于其時者名代堅可申付事 一同名右近・同名平七郎・原四郎次郎、彼参 …
一在城五ヶ年之内就右馬允雑説於有之者、遂糾明可申付事 一五ヶ年之内在城相止段於成下知者、只今就在城宛行分者、永不可有相違事 一在城之内為在所見廻可罷越、但至于其時者名代堅可申付事 一同名右近・同名平七郎・原四郎次郎、彼参 …
今度尾州へ出陣ニ、具足・馬以下嗜之間、自当年千疋充可遣之、弥成其嗜可走廻者也、仍如件、 天文十九年 庚戌 八月廿日 植松藤太郎殿 →静岡県史「葛山氏元朱印状」 今度尾張国に出陣するに当たり、具足と馬の用意をするため、今 …
定 白坂 雲高寺 軍勢甲乙人等、濫妨狼藉堅停止之訖、若於違犯之輩搦捕、急度依注進可処厳過者也、仍如件、 天文十九 庚戌 九月十七日 →静岡県史「今川義元朱印状」(雲興寺文書) 軍勢とその他の人間は、乱暴狼藉を堅く禁じる。 …
鳴海東宮大明神並八幡神田之事 右、拾貫参百文、下分壱貫四百文、あいはらのやふ下弐百五十文・禰宜屋敷壱間以上拾壱貫九百五十文云々、去年散田入落之残員数分弐貫八百文、依顕印判令難渋云々、只今惣高辻■之分共拾壱貫九百五十文之由 …
神山陣伝馬之事、自苅屋・笠寺陣之時相定之処、去々年以来依令難渋、伝馬■相拘之者共可勤之旨、両度遣印判処、■及兎角条甚以曲事也、急度伝馬銭相調、台所野中源左衛門爾可相渡、其上当府其外近辺伝馬者、駄賃入者共可勤之、但有可申子 …
今度三州雑説之刻、牛久保城米無之処、両人五百俵令取替之段忠節也、返弁之儀者、当秋中遠州之内菅沼新八郎知行河井之年貢米之内、本利可引取之、利息之儀者、世上次一割輒可奉公之旨申之条、所任其儀也、仍如件、 永禄四 辛酉 四月廿 …
於当国滑革弐拾五枚・薫皮弐拾五枚之事 右、来年可買分、如相定員数、只今為急用之条、無非分様可申付者也、仍如件、 永禄弐年 八月八日 大井掃部丞殿 →静岡県史 資料編7 「今川家朱印状」(七条文書) 当国における、なめし …