徳川家康、遠江国方広寺に寺法を下す
伊井谷奥山方広寺之事 一山四方境用木雑木等濫不可切取事 [但、有用要之時者、以朱印可申付事] 一祠堂徳政令免許事[付、門徒中輪番出仕等、不可有無沙汰事] 一為無縁所之間、如前々志次第勧進可仕之、同諸職人如前々志次第細工可 …
伊井谷奥山方広寺之事 一山四方境用木雑木等濫不可切取事 [但、有用要之時者、以朱印可申付事] 一祠堂徳政令免許事[付、門徒中輪番出仕等、不可有無沙汰事] 一為無縁所之間、如前々志次第勧進可仕之、同諸職人如前々志次第細工可 …
定 長篠在城之儀、自法性院殿被仰付候処、有応諾、則被相移候、於勝頼も祝着候、仍為在城料井伊谷相渡候、但以御先判拘来候分者、一切可被停綺、然而其方へ渡置候於井伊谷之内、小笠原左衛門尉・同日向守・常葉常陸守・同名安芸守四人 …
於遠州井伊谷之内永代買之事 一居屋敷壱所之事[本銭五貫文也、次郎法師有印判]、坂田入道前[伹是者助六郎買得云々、 一田畠弐段事[本銭四貫文也]、須部彦二郎前 一都田瀬戸各半名事[本銭参拾貫文也、信濃守有袖判]、袴田対馬入 …
去永禄十一年『戊辰十二月十三日駿』州錯『乱』、其砌、自奥津構令供、其『故兄兵衛』大夫為始、悉親類共雖令別心、於母妻一身遠州懸河致供、籠城中昼夜走廻、殊巳正月廿一日、於天王山一戦之刻、走廻之段神妙也、只今迄以無足雖令奉公、 …
牧野入城之刻より無々沙汰雖令奉公、任御内儀浜松へ罷帰之義、不及是非、於本意之時者走参可令奉公也、知行配当等之義者、一々其次第申付、不可有相違者也、仍如件、 天正五年[丑] 三月一日 宗誾(花押) 海老江弥三郎殿 →戦国 …
一、於当寺中、殺生不可致之事、 一、山中江木草取之儀、本道計可致往覆、若致脇道、枝木之一本も伐取候者、可処罪科事、 一、板屋ヶ窪壱貫五百文之所、如先規寄進申候事、 付、諸役不可有之候事、 右条ゝ、申定所、仍如件、 天正 …
[今川氏真花押] 今度忍而令渡海之処ニ、自相州慕跡来之条、太忠信之到也、一乱以来、無相違令奉公上者、於本意之時者可及忠賞候、守此旨弥奉公可為肝要者也、此旨仍如件、 三月十五日 朝比奈弥太郎殿 →戦国遺文 今川氏編2585 …
万々渡海之儀辛労ニ候、然者家康申給候筋目於相調者、一段可為忠節候歟、甚内方へ能々可申計候也、仍如件、 九月十一日 宗誾(花押) 朝比奈弥太郎殿 →戦国遺文 今川氏編2584「今川氏真判物」(神奈川県川崎市・鎌田武男氏所 …
今度西国衆就出張、早速参陣、殊無二可走廻由、肝要候、本意ニ付而者、於駿甲両国之間、知行可任望候、弥抽忠信尤候、仍如件、 天正十八年[庚寅] 六月廿日 氏直(花押) 木呂子下野守殿 →小田原市史 小田原北条2 2075「 …
今度西国衆就於出張、別而可走廻由、肝要候、本意之上、於上州駿州両国之間、一所可遣候、弥可被抽粉骨候、仍如件、 天正十八年[庚寅] 六月朔日 氏直(花押) 林右馬助殿 →小田原市史 小田原北条2 2070「北条氏直判物」 …