アップする史料を来週から『戦国遺文 今川氏編』第3巻からのものに切り替える。
このところ生業が多忙を極めて史料解釈や記事が全く上げられない。図書館にも行けない状況で、手持ちの史料集だけで手一杯という体たらくだ。その一方で、生きた解釈につなげられそうな面白い経験もしている。
私が所属する出版業界は、現在猛烈な縮小市場にある。既存の紙媒体がWebやソーシャルアプリ、タブレット・スマートフォンに駆逐されている。電子出版も話題性はあるものの、利益率は意外にも低く、余り頼りにならない。先行して崩れていったCD業界、新聞業界の惨状を見て同じ轍は踏むまいと苦慮するものの、大量販売の主力だった雑誌を失いつつある中で軌道修正する体力すら怪しいものがある。戦国時代でたとえると、1561(永禄4)年以降の今川家であるとか、1570(元亀元)年以降の大友家、1575(天正3)年以降の甲斐武田家に近い。後世の史家は氏真の施政や義鎮の迷走、勝頼の統制不足を論うが、一旦縮小方向に切り替わった組織・業態を切り替えて再び拡大するのは本当に難しいものだ。
ということで、所属する企業グループで法人同士が結束して何か打開策を練るべしと命が下った。そして、何の手違いか私も参加することになったのだが……とにかく面白いように対策がまとまらない。
まず各社ごとに組織構成が異なる。なるべく共通する部分を探ってジョイントしようとしても、無闇に会議メンバーが増えたり、もしくは対応する人員が社によってはいなかったりする。また、やはり会社ごとに思惑や狙いも違うから、総論賛成各論反対は日常茶飯事である。それなりの利点がないと進まないのはお互い様で、落としどころを探すだけで何ヶ月もかかる。会社の規模でいうと500名程度の従業員を持つところが4社ほど。後はそれより規模の小さい社が4社程度。大きな道筋として「出版は変わらなければ」という認識は共有できるが、直近の売上推移や、会社間での過去の因縁の方が大きな問題になってしまう。軍役の規模でいうと大小色々の国衆になろうか。大名どころか将軍権力でも苦労した国衆の諍い・私闘の根源を見ているようで興味深い。
グループ各社の上には、昨今多く見られる持ち株会社が位置している。各社の利害関係を調整して、最終的にグループ全体の収益を上げる役割。これは国衆を統制する大名のような存在だ。大きな枠組みでプロジェクトを組んだり、今回のようにタスクフォースを組ませたりする。それはそれでメリットがあるのだろうけれど、匙加減が難しい。事業の現場から遠過ぎると意味のない作戦を組むし、近過ぎたらそれはそれで現場に負担がかかる。結局形ばかりの調整機関になりがちだ。
こうした苦労は昔も今も変わらないのだろう。象牙の塔の外側から歴史を調べる身としては、因果関係がすっきりしない解釈も試みてみたいと思う。「結果として大勝利だったものの、なぜ勝ったかは誰にも判らない」なんてことはざらにあるものだ。