近世(江戸時代)のドラマで現代人はよく知っているかも知れない。任侠で仁義を切る台詞に「手前、生国は相模でござんす……」というものがある。また、商人が自称として「手前ども」という。
では、具体的に戦国期の人々は「手前」をどう使っていたのか。
現時点で「手前」を含む文書は13例。それぞれの意味から5つのグループに分けてみた。
●手近(対象に近い空間)
必ゝ手前計之備候者→手近な備えばかりを優先するならば
一間之内にて人ゝ之手前各別候者→1間のうちでそれぞれの作業範囲が別だと
猶以手前堅固之備→さらに手元を堅固に備え
於新太郎手前致討死候→新太郎の前で討ち死にしました
上意於御手前数度被及御一戦候→上意にてお手前で数度合戦に及び
或年貢を百姓ニ不為計而手前にて相計→あるいは年貢を百姓に計量させず手元で量り
●手元(懐具合)
彼替従其方手前可出由御心得被成候→その替地をあなたの手元より拠出するべきだとしているとのこと
就拙者手前不罷成→私のやり繰りがまかりならなかった件で
但当乱令味方者共、手前之儀者→但しこの反乱で味方した者たちの手元は
●身の回り(目先のこと)
手前之事候間→身の回りことに追われ
此度感状可遣候へ共、手前取乱間→この度感状を出そうと思いましたが、身の回りが取り乱した状態なので
●立場への配慮(~の手前・現代語に近い)
殿様御手前相違申候ハぬやうニ→殿様のお手前相違のないように
●第一人称(近世よく用いられる、謙譲を交えた自称か)
既真田手前へ相渡申候間→既に真田がこちらへ渡していると申していますので
●「手」を略したと思われる例(ほぼ資金拠出に関連)
倉賀野淡路守前より可請取之
都筑前より可出
藤源左衛門代前より可請取之者也
駿州衆各守氏真前
最も多いのが、手近(対象に近い空間)となる。また、身の回り(目先のこと)もほぼ同じ意味である。合わせて8例。次に手元(懐具合)は3例。現代語では「手元不如意」という言い方で生き残っている。現代語でよく用いられるのは「~の手前」という立場への配慮という意味だろう。この時代では稀な用例だったのか、1点しか検出できていない。
第一人称の「手前」は1例だが、『既真田手前へ相渡申候間』も、よくよく考えてみると「手近な」という意味で通るような気もする。そこでさらに、『時代別国語大辞典 室町時代編』(以下時代別辞典)で「手前」を引いてみると以下のようになっていた。
【てまへ】
<名詞>
1 その人の手の届く範囲にあるすぐ前のところの意で、他ならぬその人自身の、もと、ところであること、また、その人自身が当面する状況や事情を問題としていう。
2 特に、その人自身の内内の経済状態を取上げていう。
3 その人自身の裁量でなされるところ。また、あることが、その人自身の自由裁量にあることをいう。
4 特に、茶道で、その人が親しく茶を点ててふるまうこと。転じて、茶の点て方、その作法、をいう。
<代名詞>
1 自分のほうの意でややへりくだっていう一人称。わたくしども。
2 対等、あるいは、目下に対して、親しみをこめていう二人称。
念のため「前」も引いてみたところ、意味の3番目にあった項目が、「手前」の名詞1・3と似ていることに気づいた。
【まへ】
3 その人の目の及ぶところ、自らの立場で責任を果たしうる領域・立場、の意を表わす。
つまり、対象者の能動範囲という具体的な空間指定、対象者の組織内立場・建前という抽象的な帰属指定については、「手前」でも「前」でも構わないという仮説が成り立つ。
さらに進んで、邦訳日葡辞典を直接引いてみた。
【Temaye】
ある人に属していること。または、関係していること。または、人のなす仕事。
ここでは、時代別辞典にある代名詞の意味が入っていない。たまたま書き漏らしたか、人称代名詞として用いられるのが稀だったかだろう。日葡辞典は戦国期そのままの様相を伝えているだろうから、やはり個人的に人称があったかは疑問に感じる。
そこで、次回改めて『既真田手前へ相渡申候間』が「人称代名詞でなければどうか?」を検証してみようと思う。