中公新書で割合気軽に入手できる(寒川旭著・2007年)。考古学のアプローチがメインで描かれており、先史時代から阪神・淡路大震災までを網羅している。液状化の痕跡は縄文時代の遺跡からも出てくるそうで、地割れで引き裂かれた住居がいくつも紹介されていた。地質学の解説もあるので、本格的に調べてみたい場合に便利だろう。こういった書籍を読むと、文献史学の限界を本当に痛感する。折り重なった地層と遺物から年代を測定する際、もうちょっと細かく比定するのを手伝うぐらいしか役に立っていないようだ。

古文書が本格的に蓄積されるのは16世紀後半からで、せいぜい500年(実情が判るものだと18世紀を待たねばならない)。地震は数千年単位の評価軸が必要になる訳で、「史料がないから」発生しないなどということは全く当てにならない。21世紀に入ってから、地層解析は急速な進歩を遂げ、かなりのことが明らかになってきた。そうなると文献史学は本当に補助的な位置づけになるだろう。

明応地震については、東海と同時に南海地震が併発したことが確証されたそうだ。高知県四万十市・徳島県の板野郡と徳島市、大阪府東大阪市で相次いで砂脈(液状化現象跡)が発見されたのだ。684(天武13)年~1498(明応7)年の期間で、大体200年以内の間隔で南海地震が規則的に発生した可能性が高く、また同時に東海地震も伴っていたという。その後、1605(慶長10)年の慶長地震・1707(宝永4)年の宝永地震を考えると100年刻みになっている。1855(安政2)年では150年間隔が空き、今年2011(平成23)年に至るまで156年間発生していない。※1944(昭和19)年の昭和東南海地震をカウントすると100年周期に戻ったことになるが、個人的には微妙だと思う。

筆者は後書きで警告する。

都市化が進んだ地域では、開発によって地形が改変され、池や川や海を埋めた場所でも、ほとんどの人が知らずに住んでいる。土地の名称がむやみに改変されている現状では、地名から土地の履歴を察知することも難しい。明治時代前期に参謀本部が作った仮製地形図は昔の地形を知る貴重な資料で、大きな図書館で閲覧できるはずである。また、考古学の遺跡発掘調査は、地面の近くの地盤を知ることに役立つ。地震の被害は地形や地盤によって異なるが、発掘現場で地層や地震の痕跡を見て、将来の地震による被害を推測できる。

確かに明治の地図なら近代の改変は余り入っていないので参考になるだろう。また、地名も古いまま残されている。近所の図書館の規模が小さい場合には、その自治体の通史(~市史通史編のようなもの)とか、郷土の歴史本を読んでみるといいかも知れない。

 

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