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福島第一原子力発電所の所在地

まだ地名辞典も調べていない状況だが、ネットを調べて判ったことを覚書。

件の発電所ができる前は、塩田だったそうだ。その前は陸軍が1940(昭和15)年に突貫で作った磐城飛行場。さらにその前は起伏の緩やかな松山だったという。これは発電所南の展望台にある石碑に書いてあると下記にて記述あり。

空港探索

ここで紹介されているが、1947(昭和22)年当時に米軍が空撮した画像がある。

航空写真

※国土変遷アーカイブは現在休止中の模様。

写真上部が今回の津波でほぼ壊滅した請戸港。中央やや下にある白いエリアが塩田だった頃の地所。詳しい高低差は判らないが、これを見た限りでは津波の被害が大きそうな地形だと思える。

請戸は相馬藩の主要港だったというので、津波の近世記録が残されているかも知れない。請戸にも城があったそうで、

城郭放浪記

で紹介されている。また、郷土史の観点から請戸を描いている記事もある。ここで富永氏が出てくるのが興味深い。

今日の一句一首

請戸のくさ野神社の『浮渡神祠』から、請戸の古称が浮渡だったと推測している記事が二葉町サイトにあった。

……どうも話が迂回し始めたようなので、この件はここらで一旦留めておこうと思う。

 

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