御知行仁田村員数之事
合弐百拾九俵壱斗三升、

同弐貫文代物、此外ニ壱石壱斗弐升地高尾三浦左京亮殿御寄進、永代除之、

右、永代買徳申候、然上者、永御同心ニ参可走廻候、此上者、彼地一円ニ御綺有間敷候、為知行可致所務候、殊ニ御上意様より御判形被為請申、被下候上者、知行役・陣番・御普請等無相違可勤申候、為其親子三人之判迄、以此一札申上者、少も如在有間敷候、仍如件、

天文廿四 乙卯年七月六日

村松九左衛門尉 正久(花押)

同左衛門九郎 綱吉

くすなへ丸

三浦左京亮殿参

→静岡県史 資料編7「村松正久等連署契状写」(三浦文書)

知行である仁田村の員数のこと。都合219俵1斗3升。同じく代物2貫文。このほかに高尾の1石1斗2升の土地。三浦左京亮殿のご寄進。これを永代除外する。
右は、永代で買得いたしました。ということで、末永くご同心として参陣し、奔走するでしょう。この上は、あの地一円に争論はありえず、知行として所務するでしょう。特にご上意様からご判形を申請して発行された上は、知行役・陣番・普請役などは相違なく勤めるでしょう。そのため親子3人の判をもってこの1札で申し上げます。少しも手抜かりはありえません。

今度牢人仕候て其方へ憑入参候処、種々御懇候得共、殊過分之御取かへなされ、進退をつゝけ本意仕候、色々御忠節共、あまりニ祝着千万候まゝ、於平地領中五拾貫之分末代遣置候、彼於知行子々孫々申事有間敷候、亦何やうニ成行候て、今度牢人いたし候時、方々へ出し置候知行、手ニ入候事候共、其方へ遣候知行ハ申事有間敷候、扨天文拾六年よりまへの借物過分ニ成行候処、彼知行遣し候付て御さしをき、是又畏入候、か様ニ色々御ちうせつ祝着候まゝ知行遣し候、於向後何事も如在申間敷候、仍為後日如件、

天文拾六年 丁未 潤月七月廿三日

形原又七 家広 判有

竹谷与次郎殿 まいる

→愛知県史 資料編10「松平家広証状写」(竹谷松平家文書)

 この度牢人いたしましてあなたに頼み込みましたところ、様々な親切をしていただきました。特に過分の交換をされて、家名存続の念願を果たせました。色々とご忠節いただき余りにも祝着ですから、平地領から50貫文を末代まで進呈します。あの知行について子々孫々まで申し立てることはありません。また、どのような成り行きであっても、この度牢人した際に方々へ散逸した知行が手に入ることがあったとしても、あなたへ進呈した知行について申すことはありません。さて、1547(天文16)年より前の債務が過分になったところ、あの知行を進呈して控除させ、これもまた畏れ入ります。このように色々とご忠節され、祝着であるままに知行を進呈します。今後は何事も申しません。後日のためこのように書き出します。