史材

鵜殿長持、安心に対して飯尾豊前守への織田信秀密書仲介を責める

貴札委細拝見申候、仍信秀より飯豊へ之御一札、率度内見仕候、然者御され事共、只今御和之儀申調度半候事候条、先飯豊へ者不遣候、我等預り置候、惣別彼被仰様、古も其例多候、項羽・高祖之戦、支那四百州之人民煩とて、両人之意恨故相戦 鵜殿長持、安心に対して飯尾豊前守への織田信秀密書仲介を責める

今川義元、大村弥三郎が今橋・了念寺・田原で活躍したことを褒める

去々年参河今橋外構乗取之刻、於城際頸一討捕伊藤、蒙鑓疵鑓三本突折、高名所無比類也、殊最前弥右衛門同時寄陣於了念寺之条、誠軍功之至也、然去年未田原取出城、至于当年二ヶ年詰陣、昼夜用心敵城不虞之働、是又粉骨之至感悦也、弥可抽 今川義元、大村弥三郎が今橋・了念寺・田原で活躍したことを褒める

検証a13:刈谷城の謎

松井氏功績表を読めばある程度の時期が判明する。つまり、小豆坂合戦と西条攻略の間である。 小豆坂合戦は1548(天文17)年3月19日。西郷弾正左衛門尉宛感状で判る。西条攻略は、大村弥三郎宛感状の1551(天文20)年12 検証a13:刈谷城の謎

今川義元、大村弥三郎が吉良攻めで功績を挙げたことを褒める

去酉年九月廿日、三河内吉良江取懸遂一戦敵追入、於端城随分之者討捕之旨、甚以神妙之至也、弥可抽忠功之状如件、 天文廿年 十二月二日 義元 大村弥三郎殿 →静岡県史「今川義元感状写」  去る酉年(天文18年)9月20日、三河 今川義元、大村弥三郎が吉良攻めで功績を挙げたことを褒める

今川義元、岡部五郎左衛門尉が小豆坂で奮戦したことを褒める

先年参州小豆坂合戦之刻、味方及難儀之処、自半途取返、入馬敵突崩得勝利、甚以感悦也、此時之出立、筋馬鎧并猪立物也、因茲敵令褒美、於向後分国之武士、彼出立所令停止、若至于違乱之輩者、可加下知者也、仍如件、 天文廿一年 八月廿 今川義元、岡部五郎左衛門尉が小豆坂で奮戦したことを褒める

今川義元、朝比奈藤三郎が小豆坂で先陣を切ったことを褒める

去三月十九日、於三州小豆坂、織田弾正忠出合、敵味方備処、加下知遂一戦、自身真先入馬、抽軍忠討両度太刀、無比類働甚以感覚者也、仍如件、 天文十七年七月朔日 義元 判 朝比奈藤三郎殿 →静岡県史「今川義元感状写」  去る3月 今川義元、朝比奈藤三郎が小豆坂で先陣を切ったことを褒める

今川義元、松井惣左衛門と宗信が小豆坂で活躍したことを褒める

去ル三月十九日、於西三河小豆坂尾州馳合、最前入馬尽粉骨、宗信同前為殿之条、無比類働之儀感悦之至候、弥可被抽軍忠事専要候、仍如件、 天文十七 戊申 年 四月十五日 義元判 松井惣左衛門殿 →静岡県史「今川義元感状写」  去 今川義元、松井惣左衛門と宗信が小豆坂で活躍したことを褒める

今川義元、西郷弾正左衛門尉が小豆坂で活躍したことを褒める

今月十九日、小豆坂横鑓無比類之軍忠被励候、所感候也、為此償其国千貫之地令増知畢、於已後不可有相違、此条明鏡弥可被忠勤之状如件、 天文十七 三月廿八日 義元 西郷弾正左衛門尉殿 →静岡県史「今川義元感状写」  今月19日、 今川義元、西郷弾正左衛門尉が小豆坂で活躍したことを褒める