今川氏親室、駿河沢田郷の天白屋敷は今川義忠室の検地で定めた通りだと保証する
[印文「帰」]するかの国さわたのかうのうち、にしふん五とうせんゑもんあいかゝゆるてんはくやしきの事 右、きたかわ殿御とき、けんちあつて御さためのことく、百六十三くわん六百文ねんくいけさういなくなつしよせしめ、ひやくしやう … 今川氏親室、駿河沢田郷の天白屋敷は今川義忠室の検地で定めた通りだと保証する
[印文「帰」]するかの国さわたのかうのうち、にしふん五とうせんゑもんあいかゝゆるてんはくやしきの事 右、きたかわ殿御とき、けんちあつて御さためのことく、百六十三くわん六百文ねんくいけさういなくなつしよせしめ、ひやくしやう … 今川氏親室、駿河沢田郷の天白屋敷は今川義忠室の検地で定めた通りだと保証する
[端裏書]「十一月晦日」 内谷村長慶寺方酉年指出之事 五石弐斗八升 此内損毛壱石八斗一升五合 三郎兵衛分 六石三斗 同三石三斗四升五合 三郎衛門 六石五斗 同弐石一斗二升 千代大郎分 拾弐石六斗 同四石弐斗七合 海蔵寺 … 内谷村長慶寺方の年貢が書き出される
得願寺代々被拘置末寺・末庵之事 右、如前々当寺可為支配、若対当住於無沙汰之輩者、従本寺可被相計者也、 天文廿年九月廿三日 治部大輔(花押) 得願寺 宗英和尚 →戦国遺文 今川氏編1037「今川義元判物」(静岡市駿河区向 … 今川義元、徳願寺に、末寺・末庵の支配を保証する
義元袖判 たゝしうつたりちやうけいしかたむまのとしよりのそうふん、弐拾俵の事ハ、水のミの弥七郎に、わか身そんしやうの内ハ出し候、のちゝゝの事ハゐんはんのことく一ゑんにしよむあるへし、かしく、 [印文「帰」]天文十八年[ … 今川氏親室、徳願寺の知行である内谷村長慶寺方の増分について指示する
節々音問祝着候、如露先書候徳一色落居、元来堅固之地利ニ候之間、不及普請、本城三枝土佐守二三之曲輪、朝比奈駿河守・同名筑前守在城、去十五日清水之津江移陣築地利、岡部豊前守以下海賊衆差置、今日納馬候、佐久郡衆者其表之備ニ候之 … 武田晴信、高山大和守に、徳一色の落城と清水への移動を伝える
今度花澤有城中、正月四日ニ於小坂口討候間、御走回候、同十六日ニ於大手口鑓合、無比類御働候、氏真様於御本意者、御忠信之段急度御談合可申者也、仍如件、 午 二月五日 大原肥前守 資良(花押影) 鱸木源六殿 →戦国遺文 今川 … 大原資良、鱸木源六に、花澤城内での活躍を賞す
(今川義元花押) [印文「帰」]するかのくにしたの郡うつたりの郷のうち、ちやうけいしかた[田はたけ 山屋しき]本そう共ニ一所之事 右、ほたいのために、新きしんとして、なかくまゐらせ候うへハ、ちきに取務あるへく候、かしく、 … 今川氏親室、徳願寺に寄進を行なう
駿河国大平郷之内、善兵衛名弐拾壱貫文地之事 右、為慈雲心月毎日霊供分、任臨済寺殿寄進之旨、令領掌畢者、停止諸役等、令寄附之者也、仍如件、 天文十七[戊申]年八月十六日 治部太輔(花押) 得願寺 →戦国遺文 今川氏編87 … 今川義元、徳願寺の駿河大平郷内の寺領を保証する
向後可抽忠信之旨申候之間、所望之地可被下置候、弥戦功肝要候之者也、仍如件、 永禄十三年[庚午] 土屋右衛門尉奉之 ■月三日 朱印 朝倉弥六郎殿 →戦国遺文 今川氏編2439「武田家朱印状写」(国立国文学研究資料館所蔵紀 … 武田氏、朝倉弥六郎が忠信だったので所領を与えると約束する
今度籠城之内、其方ニ随遂之貴賤、此間不可有相違之条、弥加悃切可為同心之旨、被仰出者也、仍而如件、 永禄十三年正月五日 土屋右衛門尉奉之 岡部次郎右衛門殿 →戦国遺文 今川氏編2437「武田家朱印状写」(国立国会図書館所 … 武田氏、岡部次郎右衛門の籠城時の活躍を賞す