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タグ «日記類»

三条西実隆、禁裏匂当内侍領尾張国井戸田ならびに熱田大宮司千秋氏らの実情についての調査・報告を松波左衛門大夫に依頼

廿二日、癸酉、晴、入夜雨降、(中略) 抑尾州井戸田匂当領事、松波左衛門大夫有申出之旨之間、内々相談長橋之処、可申試之由也、仍今日遺書状、彼在所事等為後日注之、(中略) 雖不思寄子細候、禁裏御料所尾張国井戸田事近年名越御代 …

備前国の大村家盛、武蔵国本門寺などを参詣のため、美濃から尾張、三河、遠江に至る

(三月) 同十八 井ノ口に逗留、長井殿御いせい無申計候、常覚院之御馳走、是又無申計候、城一段見事、 尾張国 同十九 岩倉ニ着、道六里也、                       宿主 菅 四郎  近比ミられる者にて候 …

王代記 明応年間記述

同七年戊午八月伊豆ノ御所腹切玉ヘリ。伊勢早雲御敵ニテ。 →戦国史研究27号『堀越公方滅亡の再検討』家永遵嗣  1498(明応7)戊午年8月、伊豆の御所(足利茶々丸)が切腹された。伊勢早雲(宗瑞)と敵対されて。

今川氏真邸で歌会始が催される

十三日、戊辰、天晴、正月中、自大方小袖、織物、袷、浅黄、一重、○賜之、今日之会始ニ可着之由有之、今日之懐紙調之、如此、 詠遐齢如松倭歌  正二位言継 生さきのいつれたかけむ子日せし松の千とせに君か千とせは 次飯尾長門守所 …