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武田晴信、大井左馬允入道に、富士城攻略が済んだことを伝える

従三嶋直ニ向大宮出張、諸虎口取破詰陣候之処、対于穴山左衛門大夫、城主冨士兵部少輔悃望之間、令赦免、城請取、当表悉達本意候、此上城内法置等成下知、三日之内ニ可納馬候、可被存心易候、恐々謹言、

七月三日

 信玄[朱印「晴信」カ]

大井左馬允入道殿

→戦国遺文 今川氏編2409「武田晴信書状写」(大井文書)

永禄12年に比定。

 三島より真っ直ぐに大宮に向かって出張し、様々な虎口を突破して陣を詰めましたところ、穴山左衛門大夫に対して、城主の冨士兵部少輔が懇願しましたので、赦免させました。城を受け取り、この方面の目的は全て達しました。この上は城内に法や置き文などの下知を行なって、3日のうちに馬を納めるでしょう。ご安心下さいますように。

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