追而定而阿善九申候、半左衛門殿へ別而可申候へ共、急候間御報不申候、非如在候へく候、御心得頼入申候、
御札之趣得其旨候、仍今十七日尾・濃之堺羽黒与申地ニ森庄蔵楯籠候を、御馬被出彼地以先勢乗破、敵千余被為討捕候、庄蔵敗北之有様中々見苦敷事共候、然者其表所々境目行之所及御稼候て、此時候間御奉公肝要候、不可有御由断候、恐々謹言、
三月十八日
西小左衛門尉 吉次(花押)
阿善九郎 正勝(花押)
遠佐渡守殿 御報
→愛知県史資料編14 補449「西尾吉次・阿部正勝連署状」(思文閣古書資料目録)
天正12年に比定。
お手紙の内容でその旨を得ました。さてこの17日に、尾張国・美濃国の境にある羽黒という地に森長可が立てこもっていますのを、あの地へご出馬なさり先鋒を乗り破り、敵を1000以上討ち取りました。長可が敗北する様子はなかなかに見苦しいものでした。そういう訳でその方面は諸所の境目で作戦を行なったところ戦果が挙がりました。こういう時ですからご奉公が大切です。ご油断があってはなりません。
追って、きっと阿部善九郎が申します。半左衛門殿へ別に申すべきですが、急いでいるのでお知らせしません。いつものようではありませんので、ご承知いただくことをお願いします。