御貴札奉披閲候、■承意、輝虎出張東上州ニ在陣、其上去月十日号桐生地へ兵粮可指入擬を以、越州■■■■処、頓速被乗向候之条、兵粮一粒も城中へ不入得、剰翌朝退散候、指向所雪水満水人馬之渡依無之、川上へ押廻、無二可遂一戦由被存候処、越国境号沼田地へ引籠候者、此度不被遂一戦儀、無念之由被存候、然而羽生被寄馬候処、近年向岩付取立候号花崎地、即時自落、於当表之備者、如存被致之候、此上一昨二日当地関宿へ進陣、当作毛不残被払捨候、明日被致利根越河幸嶋郡作振捨、其上小山寄旗、宇都宮表之働可致之由存候、爰元之様子御使僧御見聞候者、不能細説候、就中其表之御様子条ゝ御頭書并御口上承届上、氏政ニ為申聞、彼存分具ニ御口上申渡候、重而使被差越、互御誓約被成尤候、盛氏ハ去年此旨趣被仰之上、互御誓約被取替候、惣別只今迄者、御遅ゝ候て、様子委細御使僧口頭ニ頼入之由、被聞召届、早速重而御使御尤候、万端奉期重説候、恐ゝ謹言、

五月四日

北条左衛門大夫 氏繁(花押)

白川江

→戦国遺文 後北条氏編1702「北条氏繁書状」(並木淳氏所蔵文書)

1574(天正2)年に比定。

ご書状を受け取り拝見しました。意を承ったように、上杉輝虎が出動して東上野国に在陣し、その上去る月10日、桐生という地へ兵糧を搬入しようという意図で越後衆が(荷を運んでいた?)ところ、すぐさま乗り向かわれたので、兵糧は1粒も城中へは入れらず、更には翌朝退散しました。向かったところは融雪で満水となり人馬が渡れる場所がなく、川上へ押し向かいひたすら一戦を遂げることをお考えだったところ、越後国との国境の沼田という地へ引き籠ってしまい、この度は一戦を遂げられませんでしたこと、無念だとのお考えです。そして羽生へ馬を寄せられましたところ、近年岩槻へ向かい築城した花崎という地がすぐに自落しました。この方面の備えは思うがままになされています。この上で一昨日2日にこの地関宿へ陣を進め、この農作物を残らず払い捨てられました。明日利根を渡河なさって猿島郡の作物を振り捨て、その上小山に旗を寄せて宇都宮方面での作戦をすることと考えております。こちらの様子はご使僧がご見聞なので細かくは申しません。とりわけそちら方面のご様子は箇条書きのご頭書とご口上にて承りました上は、氏政に申し聞かせます。あちらのお考えはつぶさにご口上で申し渡しました。重ねて使者を差し越され、互いにご誓約をなされるのがもっともです。蘆名盛氏は去る年この趣旨を仰せられた上、互いのご誓約を交換なさいました。総じて今のところは遅くなられておりますので、様子・委細はご使僧の口頭に頼み入ること、お聞きになり届けられ、早速重ねてご使者を出されるのがもっともです。色々と続報をお待ちしております。

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