黄梅院殿の葬地

黄梅院は甲斐府中東郊にある大泉寺の塔頭である。場所は竜地郷にあったが、現在はごく小さな石塔があるだけだ。扁額には「延命山黄梅院」とあるという。

延命山という言葉には父としての晴信の想いが込められているように感じられる。結果論だが、もう2年生きられたなら、後北条と武田の再同盟によって彼女の人生は大きく変わったに違いない。

一方で、竜地郷という位置は甲府と新府の中間にあり、彼女を小田原から引き離すような感じがする。なるベく西にしたいが、甲府からはすぐ墓詣でできるような位置。それが竜地だったように見える。

しかも、甲相再同盟がなった後も位置を変えなかったのも、「小田原から離したい」という意志を感じる。郡内とまではいかないにしても黒駒か酒折辺りまで移して上げても良かったように思う。

戒名の件と合わせて考えると、1つの仮説が出てくる。

武田晴信は自身が犠牲にした長女の戒名の格を下げ、離縁させられた婚家から遠い地を選んで葬った……。だが、彼女の出産ごとに願文を掲げていた晴信がそのような所業をするだろうか。

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