今度長尾輝虎出張ニ付而、臼井之城楯籠、竭粉骨走廻候、就中、去廿三及大責処、相拘堅固、敵五千余人手負死人仕出、翌日敗北、誠以忠信高名之至、無比類候、仍太刀一腰作[長光]、遣候、恐々謹言、
卯月十二日
氏政(花押)
松田肥後守とのへ
→小田原市史 資料編 小田原北条1「北条氏政感状(切紙)」(東京国立博物館所蔵)
1566(永禄9)年に比定。宛所は後筆。
この度長尾輝虎が出征したことについて。臼井に籠城して粉骨を尽くして活躍した。特に去る23日の総攻撃を受けたところ、堅固に守備して敵5,000余人の死傷者を出し翌日敗北させた。本当に忠信・高名の至りで比類がありません。太刀1腰(長光作)を差し上げます。