伊藤潤・乃至政彦の共著で、洋泉社の文庫yから刊行されている。

先週紹介した『上杉景虎―謙信後継を狙った反主流派の盟主』(以下前書)と同じモチーフを扱っている。第2章までを関東の戦国史概観に据えていることから、調査初心者にとっては本書のほうがハードルは低いと思う。但し、同時代史料からの確度が低い記述(天文末年に輝虎が上野国に侵攻したとする説)も書かれている。景虎が武田氏の人質となっていた伝承についても、前書は葛山三郎の誤伝と合わせた検証を行なって現実性が低いとしている一方、本書は各種軍記物の記述のみを引用して「あながち虚構とばかりはいえない」としている。このため、読み込みに注意は必要。

内容としては前書とほぼ同等だが、武田勝頼の動向に紙幅を割いている点は参考になった。御館の乱に対する勝頼の行動は一貫しておらず、不可解な要素を多分に含んでいる。解明には及んでいなかったものの、越後と同期した勝頼の動きをまとめてあったのは判りやすかった。

本書の主論は景勝陣代説にある。輝虎後継者の選定は難航を極めたようで、景勝は上田長尾継承者にせざるを得ず、景虎は後北条氏との絶縁とともに後継者にはできない状態だった。そこで、景虎が景勝妹との間にもうけた道満丸を正式な後継者とし、それまでの中継ぎ当主を景勝に据えたとする。ここから、景勝が御館の乱まで未婚だったのは「道満丸への継承が前提だったため」となって矛盾がないとしているが、これは疑問である。景勝の主目的を上田家継承とするなら、その次代の継承者も確保せねばならず、未婚維持はおかしいからだ。もっと突っ込むと、景虎を出家させていない疑問点も出てくる。また、憲政には息子憲藤が同行していたという伝承があり(憲藤も父と同時に殺されたとしている)、これが真実なら、反・景勝派は「関東管領正嫡」という旗印のもと、憲政・憲藤を担ぐことも可能だった。

ここまでくると、単純に輝虎が後継者選定で無能だったと断定したほうがしっくり来るのではないか。解決するのが面倒になって、混乱を招くような放置をしていたと考えたほうが判りやすいように思う。下手に「深謀遠慮があった筈」と考え過ぎてはいないだろうか。

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