書出
一此度就御弓矢、当郷ニ有之為男程之者、先年之任吉例、桧原谷為御加勢被仰付候、平山右衛門大夫一左右次第、速為男程之者、彼谷へ相集、可走廻候、他所へ於罷越者者、従類共ニ可被処死罪事、
一於桧原相渡普請之儀、是又無ゝ沙汰可走廻事、
右、大途就御弓箭如此被定置候、此掟於相背者者、可被処死罪旨、被仰出者也、仍如件、
(印文未詳)
戊子 正月九日
西戸蔵
→神奈川県史 資料編3「北条氏照朱印状」(武州文書多摩郡市之丞所蔵文書)
1588(天正16)年に比定。
書き出し。一、この度の戦争について、この郷にいる男たる者は、先年の吉例のとおり、桧原谷の加勢を指示された。平山右衛門大夫の一報次第で速やかに、男たる者はあの谷に集まり、活躍して下さい。よそへ越した者は『従類』とともに死罪とすること。
一、桧原において渡す普請のことは、これもまた無沙汰なく活躍すること。
右は、大途の戦争についてこのように定め置きます。この掟に背く者は死罪と処す旨を仰せ出されている。