此貝蚫眼前にてこしらへ候、毒ニ有間敷候間進候、参着之上之善悪不知候へ共、飛脚ニ可懸由申付候、恐々謹言、

閏七月廿五日

氏政(花押)

安房守殿

→神奈川県史 資料編3「北条氏政書状」(岡本文書)

 このアワビは目の前で調理したものです。毒ではないので進呈します。到着の上の善悪は知りませんが、飛脚に託すよう指示します。

閏七月が存在するのは1577(天正5)年。氏邦が安房守を名乗るのは1575(天正3)年頃からなので、問題はない。

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2 comments untill now

  1. マリコ・ポーロ @ 2010-05-01 09:02

    こんにちは、高村さま
    マリコ・ポーロ初めてコメントさせていただきます。古文書の読み方はまったく無知ゆえ、差し控えておりましたが、ここのところ北条兄弟を取り上げてらっしゃるので我慢できなくなりました。豊前山城守は、北条家の厚い信頼をうけていたのですね。
    また、このアワビのお手紙はとても好きです。兄上様は、海から離れてしまった弟君達に、こうやってよく故郷の海の幸を届けてあげていたのでしょうね。氏照の体を非常に心配したり、兄弟の仲のよさが伺えてほほ笑ましいです。
    この場合の「閏」は、天正10年でしょうか?こういうのがまったく分からずお恥ずかしい次第なり。もしそうだとしたら、アワビを送った時、すでに信長が死んだことは知っていたのでしょうかね。それとも、アワビを送った後に「どひゃ~!」となったのかしら。
    一通の古文書からも、いろいろ想像(妄想)できて楽しいです。

  2.  コメントありがとうございます。元々は「古文書をWeb検索しても出てこない」という状況に業を煮やして作り始めた素人サイトです。なので、ご感想・ご質問ともにお気軽に書き込んで下さればと思います。
     年次比定のご指摘助かります(こういうところが粗忽です)。書き足しておきました。ちなみに私は『超スーパー暦』というフリーウェアを利用しています。
     武田氏が一気に滅亡した際は、氏邦・氏政の間で「武田崩壊っぽい」「そんなわけないだろ」「本当だって、また情報来たから」「それ言ってるのお前だけだから」のやり取りがあります。『戦国のコミュニケーション』(山田邦明・著)という良書に掲載されていますので、機会があればご覧下さい。
     氏邦関係は書状の残り具合がよく、氏政とのどうでもいいような書状まで残されています。戦国武家の日常を探るには恰好の素材ですね。
     豊前山城守については、この後悲しい書状をアップします……。
     これからも宜しくお願いします。