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北条氏康、豊前山城守夫人に形見分けの礼を述べる

せんとハ山しろのかミ殿ゆいもつとして、梅のゑ一ふく給候、ひさう申へく候、此たひのしあわせ、なかゝ申事なく候、されともくはうさまよりおほせ付られ、うちしにをとけられ候へハ、御ちうしん申におよはす候、うち政ニおゐても、せひなくそんする計に候、なをとを山新四郎申へく候、かしく、

十二月五日

うち康(花押)

山しろ殿

 こうしつへまいる

→神奈川県史 資料編3「北条氏康書状写」(豊前氏古文書抄)

1569(永禄12)年に比定。

 先ごろは山城守殿の形見として梅の絵1幅をいただきました。秘蔵いたします。この度の巡り合わせ、とても言葉になりません。とはいえ、公方様に命じられて討ち死にを遂げられたことの忠信は申すまでもありません。氏政においても、「どうしようもないこと」と考えるばかりです。さらに遠山新四郎がお伝えするでしょう。

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