当知行山中七郷之事
右、先規岡崎江令納所本成、百姓相隠之様、当年於有訴人、本帳之条、急度申付可令所務、惣別去年企可令検地訴訟之間、以印判領掌之処、于今検地云々、先本帳之分令所務、其上雖為何時可令地検、并竹尾源四郎百貫文地之事、於先年以下知当郷内出置之処、今度本帳面相顕之上、彼者過分之私曲明鏡也、百貫文地之内ハ、縦雖為河成、定勝江不相断、以各別之名職之内、恣非可引取儀也、然者源四郎令難渋者、拘置分以奉行人可相改、猶就及異儀之、百貫文之分、以当郷各別之名職可出之、其外野山・市場・屋敷等之事、如岡崎支配可申付、本帳出之上者、各名職相改可所務者也、仍如件、
天文廿三 十月十五日
治部大輔 判
奥平監物丞殿
→静岡県史 資料編7「今川義元判物写」(松平奥平家古文書写)
当地行の山中7郷のこと。右は先に決めた岡崎へ納める本成年貢を百姓が隠匿したと今年訴人があった。本帳の件、取り急ぎ指示して徴収するように。総じて去年検地するようにとの企図が訴訟となったので印判によって掌握していたところ、今は検地という。先の本帳の分は徴収し、その上いつでも検地するように。同時に、竹尾源四郎の400貫文の土地のことは、先年下知によって当郷内に拠出していたところ、この度本帳面に出てきたのであの者が私的に過分益を得ていたことは明白である。100貫文の土地は、氾濫原であっても定勝へ断わりもなく、それぞれが別の名職内に自由に引き取ることはならない。ということで源四郎が渋っても、抱えている分は奉行人によって監査するように。さらに異議に及ぶならば、100貫文の分は当郷それぞれ別の名職に出すように。その他野山・市場・屋敷などのことは、岡崎支配のように指示するように。本帳が出た上は、それぞれの名職を改めて徴収するべきである。